世界はきな臭い・・

「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

私には早朝ウォーキングで知り合った若いインド人の友人がいます。
とても家族思い。過重労働じゃないかと思えるほどに真面目に働いています。
そんな彼。テレビ報道でインドとパキスタンの紛争を知って憂慮しています。

欧州でのロシアのウクライナ侵略戦争。
中東ガザでのハマスとイスラエルの戦争。
そして南アジアでのインドとパキスタンの紛争。
日増しに緊張が高まる台湾海峡の有事。
更には米国・トランプが仕掛ける貿易戦争。

世界は随分ときな臭いです。日本だけが蚊帳の外ってわけに行くかどうか。
そんな折です。自民党の右派を気取る参院議員が、意図的にでしょう。
沖縄県民の心を逆撫でするような「戦争犠牲者への冒涜」発言。

内容は朝日や毎日新聞をお読み頂きたいのですが。
私はこんないい加減な議員の発言に激しい怒りを覚えます。

こと沖縄に関しては、絶対に忘れてはならないことがあります。
沖縄方面司令官・太田実少将が東京の海軍次官に送った電報です。

太田司令官は20年4月より豊見城市の海軍司令部壕にて、米軍との地上戦を指揮、日本軍の敗色が濃くなった6月6日・沖縄県民の献身的な戦いぶりを記し、
配慮を求め。6月13日・幕僚とともに自決した。その電文を全文記載します。

次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。

沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県にはすでに通信する力はなく、32軍(沖縄守備軍)司令部もまた通信する力がないと認められますので、私は、県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことができないので、代わって緊急にお知らせいたします。

沖縄に敵の攻撃が始って以来、陸海軍とも防衛のための戦闘に専念し、県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、防弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が行き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

沖縄の実績は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。

「沖縄県民はこのように戦いました。
県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように」

ここに明確に書かれているではないか。
若い女性は進んで軍に身を捧げ、看護婦・炊飯婦はもとより、防弾運びや切り込み隊への参加を申しでるものさえいる・・・「ひめゆり隊」のことも含まれている。

この参院議員・右派を自認するなら、この太田少将の電文をどう読む。
こんな政治家に、とてもじゃないが、このきな臭くなった国際情勢を
任せるわけにはいかん。この7月に改選を迎える京都選出の議員だそうじゃないか。京都府民の懸命な判断を仰ぐ・・・Goto

追伸
読売新聞はこの問題を一切報じていない。
ひめゆりの塔にある展示を捏造だという・・・・
その主張を容認する読売の姿勢は問われるべきではないか。

コメント

  1. 匿名 より:

    母は戦争未亡人ですが、再婚(戦死した兄の弟と再婚)して私が生まれました。祖父母の下で
    生活をして居て金銭的にはあまり困ってはいなかったと推測しますが、気苦労は沢山浴びるほどしたと思います。私が小さい頃、祖母に連れられ、子供会の遠足で白い服着て、軍事帽子を被ったて募金箱を首か下げた傷痍軍人を見かけました。祖母に「可哀想やな」と言いますと、「命も有り、国から金も貰ってる、募金することない」と言っていたことを微かに覚えております。
    今から思えば、片足を失くした軍人さんより、自分の息子を亡くした無念さのほうが上回っていたと理解できます。戦後生まれの私たちは幸せな人生を送らせて貰いました。感謝です。
    【そんな幸せな人生を送って来た親たちの子、孫が強迫事件を犯してます】