新聞の使命

年の始めに「信条」を再確認した、読売新聞社に敬意を表す。
これは私の独り言だが。人口42万の岐阜市。一応、岐阜県の県都である。しかし。中心市街地は、文字通りのシャッター街。メインロードに人影もまばら。コアのJR岐阜駅。私鉄の新岐阜駅を行き交う人も・・・寒風のせいであろうが。閑散として足速に通り過ぎる・・・。
戦後隆盛を極めた基幹産業・繊維も・・・問屋街の凋落を見回すまでもない。かと言って。新たな地場産業が育った形跡もない。中部圏の中核、名古屋市までJRで18分。衛星都市かといえば。近在の各務原・可児・多治見市に遠く及ばない・・・
行政が力を込める観光事業・・・鵜飼。年間の来客数も水増しに地元民を加えても10万人に届かぬ有様。ではと第一次産業に目を転じても。海なし県で、漁業は川魚のみ。漁師の減少。河川環境悪化で漁獲量も知れたモノ。農業は兼業農家が圧倒的で、枝豆に大根では産業には程遠い。
更に目を転じて。住みやすい街かと問われれば。医療体制は整っていると言われるが。それはたまさか、岐阜大学に県立当時からの医学部があり、その卒業生が下支えで。なんとか取り繕っているに過ぎぬ。
では、学問の水準は高いのか。教育に熱心かと問われれば。残念ながら。根幹となす日常の情報に特徴も、主義・主張がないがゆえ、お世辞にも教育熱心な土地柄とはいえまい。そもそも。歴史的に高僧を輩出する土地柄。学問に対する意識は高いハズだった。少なくとも戦後のある時期までは。
更に独り言。こんな故郷岐阜になってしまった要因は何処にあるのだろうか。私は、この街に生まれ、この街に育まれて。65年になろうとしている。私はこの街が大好きである。元気にしたいと思っている。市井のおっさんに要因があるわけではないが。大人の一人としての責任は感じている。なんとかしたいと、真剣に考えている。
要因は政治にある。或いは、行政に。財界人にあると巷間言われているが。時々の権力者にあるのを間違ってるとは思わないが、でも。それが主要因だとは思っていない。この国は情報社会だ。日常的に流される情報の質が社会の隆盛を左右する。その意味から、メディアの立ち位置はとても重要である。
故郷岐阜、衰退の主要因は、私物化された地元メディアの経営姿勢にあると思っている。
読売新聞は責任ある自由を追求する。
個人の尊厳と基本的人権に基づく人間主義をめざす。
国際主義に立ち、日本と世界の平和、繁栄に貢献する。
真実を追求する公正な報道、勇気と責任ある言動により、
読者の信頼にこたえる。
この一文は、1/1付。読売新聞に掲載された「読売信条」である。(2000年1月1日に制定)新聞の使命を高らかに謳い上げている。この国はバブル崩壊から20年。国際的地位、経済的力が著しく低下している。その閉塞感を背景に二度の政権交代を経て、新たな段階に入った。
そのことを強く認識。社会に大きな影響力を持つ、言論の府として新聞の役割と使命を再認識。読者と謙虚に立ち向かおうとの意志を、2013年元旦に読売新聞社が示したのだと思っている。国を愛し、故郷を思う一読者として、その覚悟と決意に心から敬意を表したい。
地元メディアは130年の歴史を有し。故郷岐阜の言論をリードし。常に地域社会のありように警鐘を鳴らし、公正な報道機関として輝かしい足跡を残してきた。にも拘らず・・・・。このところの紙面はたわいない私物化の代用として弄ばれている。
新聞は社会の公器である。新聞の健全な姿勢こそが。社会を健全にすることがでいる。新年に襟を正す読売新聞に敬意を表しつつ。真摯に新聞作りに取組む地元メディアの関係各位には、ぜひ、原点に立ち返り新聞の使命とは何かを問い直して欲しいと心から願う。Goto

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