朝日新聞元旦号の社説に・・・言論の府を疑う。
新聞各紙の年頭の社説を読みました。どの社も、この一年を見通すことができていない。これが日本の言論界をリードする新年の論調なのかと思うと、思わず背筋が寒くなりました。
取分け、朝日新聞。語る言葉も、主張も曖昧。「日本を考える」を考える・・・なんてタイトルを臆面もなく付ける神経が分からない。読者の一人として、呆れています。
社説の結び。「国家以外にプレーヤーが必要な時代に、国にこだわるナショナリズムを盛り上げても答えは出せまい。国家としての「日本」を相対化する視点を欠いたままでは、「日本」という社会の未来は見えてこない。」・・・相対化って?日本となにを相対しているのか?何度読んでもさっぱり理解できない。
ナショナリズムの台頭に警鐘を鳴らすなら。朝日らしく(朝日らしさなんてもうないのかもしれない)、とことん鳴らしたらどうか。国家の自治権が脅かされているのに。自治権の確立をいくら訴えても、読者にはピンとこないだろう。(私の頭が悪いからだが)
何を恐れ、何を怖がっているのか。まるで、ポピュリズム政治家と同じではないか。読者に理解できない理屈をこねて、自分たちの主張すら、満足に訴えることができない。朝日の論説委員がこの程度だと。やはり、曽野綾子さんの言う通り。日本の幼稚化は、朝日が先鞭をつけていると言わねばなるまい。
そんな軟弱な朝日の元旦紙面に。出版社の広告が満載。(写真参照)私には奇異な感じがしてならない。朝日の読者は、本を読む読者。そんな固定概念が、出版社にあるのだろうか?それとも、だったころの、思いが強いから、惰性で正月ご祝儀として掲載しているのか?
言論の方途を失ったメディアに。言論界のもう一方の雄である出版界が、何の革新性も、可能性もなく、自社の広告を紙面に溢れさせている・・・その現状こそ、幼稚化する日本社会の象徴だと思えてならないのだが?思い過ごしだろうか?Goto
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