自分を甘やかすな――人生は一度限りだ。
やらねばならないことは、分かっている。
本を読まねば。身体を鍛えねば。仕事に必要な力を身につけねば。
今日の仕事を今日のうちに終えねば――。
それでも、ついスマホに手が伸びる。明日からやろうと自分に言い訳をし、楽な方へと流される。気がつけば一日が終わり、何も積み上がらぬまま、また同じ朝を迎える。
若者よ、それでよいのか。
「自己陶冶」とは、自らを鍛え、人格を磨き続けることである。「陶」は土をこねて器をつくること。「冶」は鉱石を熱し、不純物を除いて金属を鍛えることをいう。
人間も同じだ。学び、働き、失敗し、時に恥をかきながら、弱い自分を少しずつ鍛えていく。生まれたままの自分を、よりよい人間へと練り上げていく営みである。
誰にでも怠け心はある。私にもある。だから、意思が弱いこと自体を責めるつもりはない。しかし、弱さを認めながら、何の手も打たず、惰性に身を任せるのは違う。
時間を無駄にするとは、命を捨てることだ。一日は誰にも等しく二十四時間。若さは無限に続くように思えるが、振り返れば一瞬である。失った時間は、地位や金では取り戻せない。
老いたる経営者の端くれとして、多くの人を見てきた。才能がありながら、自分を甘やかして伸びなかった人。器用ではなくとも、毎日の努力を怠らず、大きく成長した人。その差は、能力よりも習慣である。人生をつくるのは、時折の決意ではない。誰も見ていないところで、やるべきことを黙々と続ける力だ。
朝、決めた時間に起きる。挨拶をする。新聞や本を読む。仕事を後回しにしない。約束を守る。人の話に耳を傾ける。一日の終わりに自らを省みる。自己陶冶とは、決して特別な修行ではない。こうした凡事を徹底し、自分との小さな約束を守り続けることなのである。
厳しいことを申すのは、若者を責めたいからではない。期待しているからだ。若さには、失敗してもやり直せる力がある。未来を変える時間もある。だが、今日動かなければ、明日も変わらない。
自分を甘やかすな。易きに流されるな。昨日の自分に負けるな。まず今日、今この瞬間から一つ始めよ。そして続けよ。自らを磨くことを生き方の根底に置けば、人生は必ず変わる。
君たちの可能性を、君たち自身の怠惰で潰してはならない。自己陶冶をと願う。
説教臭い、如何にも臭い。
老人の戯言、お許しあれ。Goto


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