「第四の権力」、マスメディアは謙虚であれ。
世の中には、驕りが幾つもありますが。マスコミ権力ほど横暴なものはないと思います。
岐阜のような田舎に住んでいますと、マスコミの信頼性は異常に高いものがあります。
取り分け、新聞記事は絶対的なものとして取り扱われています。ですから、影響力が強く、「批判的な記事」などが掲載されますと、地域全体から「白い目」で見られ、仕事に支障が起きたり、街に住めなくなります。
それがメディアは「第四の権力」と言われる由縁なんでしょう。人間は権力には弱いものです。「ペンの暴力」を恐れ、行政も、政治家も、財界も、各種団体さえも、新聞社には一目置きます。
それを良いことに、経営者も強大な権力があると錯覚しているようです。しかし、それはおかしいのですが。間違ってると思っても、なかなか、批判出来ないものです。
私の持論ですが、マスメディアのトップは「その影響力」からして、各種団体の役職には付くべきではないと思います。例えば、新聞社のトップが、地方の商工会議所の会頭になるのはおかしいと、思いませんか?
新聞が公器であるとするならば、特定の団体の代表になること、そのものが、公平性を自ら放棄することになります。ましてや政府の戦略会議の委員などには、なるべきではない。と思います。
首相肝煎りの「安心社会実現会議」で厚労省の分割を提唱した読売トップ。行革反対の読売新聞ですから、官の肥大化に手を貸す発言も分からなくはないですが、政府を援護したつもりが「贔屓の引き倒し」です。
迷走内閣の足を引っ張ってしまいました。これを「マスコミの横暴」といわずして、なんと言うのでしょうか。それを、苦々しく思っている国民は多いと思うのですが、他紙も「同じ穴の狢」で批判しない。
読売のトップは、「メディア権力」を背景に、何をしても、やっても許されると、驕っている。
その横暴を「老害」と言うんですが、誰にも止められないのが、この国の不幸の一つだと思うのですが。
言いすぎでしょうか?「え〜。何ですか?」「彼が横暴であって、マスメディアは、謙虚だ」ですって?
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