国民は国会や有識者の議論、導きだされる結論をジッと待っています。
平成の玉音放送、お聴きになりましたか。
私はテレビの前で背筋を伸ばし、襟を正して拝聴しました。
放送に関する翌日の新聞記事も全て読みました。
私如きが陛下の「お気持ち」が分かるはずもありませんので、
ブログに書くことも躊躇するのですが、賽は国民に投げられたのです。
私は私なりに、よく考えてみることとします。
どの新聞も国民と識者の声を「お気持ちを如何に忖度すべきか」と戸惑いながら
国民の傍に寄り添う姿勢への畏敬の念が掲載されています。
論評する有識者各位も概ね、皇后様と共に象徴天皇を模索された姿に・・
「国民的な議論を巻き起こし」答えを出さねば・・・そんな思いが強いようで・・・
好感を持って書かれていますが、私は、愚にもつかない神学論争を繰り返す・・
現行憲法に、それでよろしいですかと、鋭く切り込まれたのではないかと推量します。
国民は憲法でいうところの「象徴天皇」をどのように捉えているのか。
「天皇制」について如何に考えているのか。
「私個人として」と前置きされたことに、重大な意味があると思います。
憲法4条では「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する機能を有しない」
国事行為以外を行う「行事」を求めてはいけないハズなのに・・・
「象徴としての務め」が多義にわたる状況になっている。
その「範囲」の整理が、まず、必要ではないかと思います。
また、この機に、天皇の人権制約を正当化する議論も出てくるでしょう。
「個人」として申されているのは・・引き続き非人間的な生は理解されての上か・・・
或いは「個人の尊厳」を核とする立憲主義に立ち至れとのお考えなのか・・
推し量ることはできませんが「天皇のお気持ち」が発せられた以上・・
期限を切って、国会のみならず、あらゆる有識者が議論し・・・
あるべき姿を国民に提示すべきではないでしょうか。
私は「特例法で退位を認める」のが答えだと思っていますが。Goto
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