ノーベル賞って、やはりノーベル賞ですね。
今年のノーベル賞が出そろいました。受賞者の顔ぶれを見ながら、改めて思うのは、ノーベル賞はその人が何を成し遂げ、何を信じて歩んできたのかを見つめているということです。
文学賞は、カナダの詩人・作家アン・カーソンさんに贈られました。古典との遊び心あふれる対話を通じて、大胆で創造的な作品を生み、現代文学に新たな形式をもたらしたことが評価されたそうです。
日本では毎年、村上春樹さんの受賞を待つ人たちの姿が報じられます。私は作品の多くを読んできましたが、残念ながら、心を揺さぶられたり、人間の奥深さを考えさせられたりすることがありませんでした。だからこそ、今年の選考にも、それぞれの文学観を丁寧に見極める姿勢を感じています。
そして、私がとりわけ心を動かされたのが、南アフリカ出身のナビ・ピレイさんへのノーベル平和賞です。アパルトヘイトの下で差別を経験し、弁護士として人権を守る活動に取り組みました。1995年には南アフリカ高等法院の判事に任命され、その後、国際刑事裁判所(ICC)の判事や国連人権高等弁務官も務めました。選考委員会は、平和と国際法を促進してきた歩みを評価しました。さすがです。
平和とは、戦争がない状態だけをいうのでしょうか。肌の色や生まれた場所によって人の尊厳が損なわれるなら、それは平和とは呼べません。強い者が力で押し通すのではなく、誰に対しても共通の法と正義が働く。その土台を築くことが、平和への道なのだと思います。
国際刑事裁判所に制裁を科したトランプ大統領が、自らの平和への貢献を語り、賞への意欲を示してきたことも、今年の選考が注目された理由の一つでしょう。そうした声や政治の力に惑わされず、国際法と人権を守ってきたピレイさんを選んだ。その結果に、私はノーベル平和賞の意義を感じます。誰かへの当てつけというより、平和を築くために何が必要かを、世界に問いかける選考だったのではないでしょうか。
その問いを、いま日本も突きつけられています。北海道新聞の記者がロシア当局にスパイ容疑で拘束されました。これはロシア側の主張であり、事実関係の確認と公正な扱いが求められます。日本政府は駐日ロシア大使を呼び、強く抗議するとともに、記者との面会機会を早急に設けるよう求めました。記者の安全と早期解放のため、粘り強く働きかけてほしいと思います。
対立が深まる時だからこそ、感情だけで相手を非難するのではなく、正確な情報を集め、国際法に基づいて毅然と交渉することが必要です。専門家(佐藤優氏)の知恵も借りながら、記者の解放を求め、将来の日露平和条約締結への道も閉ざさずにいてほしい。平和は、願うだけでは訪れません。人間の尊厳を守り、法と正義をよりどころに、一歩ずつ築いていくものです。
Goto


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