「ノコッタ。ノコッタ」
記憶の彼方。まったく自信のない話だが、小学校に入学した頃、校庭の隅に土俵があった気がする。多分、屋根も付いてたと思う。土俵のラインが俵で引いてあった。その俵のほころびが、微かだが記憶に残る。
運動神経はからっきしだめ。運動会で入賞したことなど一度もない。走ることも、投げることも鈍く、草野球でさえ補欠。足腰が弱く、スピードもない。格闘技もチャレンジの割には、中途半端。特段、身体が大きいわけでもないが、でも、相撲は好きだった。
好きといっても、自分で、と、言うよりも、テレビ桟敷。吉葉山と鏡里。千代の山と朝潮。テレビの前で手に汗して観戦。次の日、校庭の隅の土俵(円の線を棒で引いただけの土俵だったかも知れない)で、取り組みをなぞったもんだ。
相撲の魅力は、勝負が一瞬。足の裏以外の身体が土俵に付けば負け。土俵から早く外に出たほうが負け。ルールが分かりやすい。そして、巨漢と小兵。体重別ではない。日本人の魂にぴったり。
それに、勝負が公平。レフリーである行司に決定権がない。土俵下に5人の審判団がいる。きわどい勝負は、行司の判定に物言いを付け、協議する。その結果を「ただいまの勝負・・・・・・」とやる。それを力士が頭を下げて聞く。観衆も、テレビ桟敷のファンも固唾を呑んで見守る。そこがいい。
武士は戦う前に、お互いを名乗った。「我こそは、日立の国の住人・・・・・・・」などと。相撲も、呼び出しがいて、西方は誰、東は誰。と呼び出す。さらに、行司が四股名を名乗る。勝負は一瞬だが、何度も仕切る。そのしぐさに、段々と緊張感が増し、引き込まれる。勝負が付けば、勝ったほうも、負けたほうも、礼に終わる。
このところ、このところとは、貴乃花引退以降。相撲人気が低迷。テレビ桟敷から観戦していると、向正面の空席が気になって仕方がない。関係者には日本の国技をすたらすことなく、ピンチをチャンスに変えて、再興を願うのみである。
相撲ファンとしては、栃錦に若乃花。柏戸に大鵬。輪島に玉の島。名横綱、大横綱が全勝で、千秋楽に雌雄を決する。それが相撲の醍醐味。13日から初場所が始まる。真摯な白鵬と豪放な朝青龍。久々に二人の横綱が揃った。千秋楽の激闘を楽しみにしたい。
昨年、11月場所で、24年間。土俵を張った、36歳現役最古参、琉球大学出身の「一ノ矢」が引退した。彼が作る高砂部屋のホームページに「長い間応援してくださりありがとうございました。夢であった大相撲で24年間も土俵に上がれたことを幸せに思います。引退後も高砂部屋のマネージャーとして部屋に残ります。」と。
「ノコッタ。ノコッタ。」。「大相撲、のこった。残った。」 Goto
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