ゼロトレランス

ちょっと生意気なんですが。憂国の気持ちで。
魔女狩りのようで、うんざりですが、教員試験の不正疑惑事件のニュース、泥沼状態
止まるところを知らないようです。教育は国家の最重要課題、教育現場を預かる教師がこれでは・・・。
関係者には辛いでしょうが、公教育が崩壊すれば、国家は存亡の危機に陥ります。
大分県の特殊な事件として封じ込めないで、自浄作用で徹底的に膿を出し切って頂きたいものです。
教育を論じる資格も経験も人格も持ち合わせていませんが、この問題、私はこんな風に考えます。
間違っていましたら、ご意見を頂きたいと存じます。
教育の手法は様々ありますが、アメリカに「ゼロトレランス」(寛容さなしの厳格な教育)という荒廃する公学校の再生手法の制度があり、実施されています。
アメリカの立国の精神である自由。その自由主義を履き違えて、校内暴力や授業破壊が蔓延した公教育。それを是正するために、躾を徹底し厳格な生徒指導を強要する制度です。
学校は、子供の遊び場ではない。自由にも限度があり放任は許されない。生徒、学生は身分が保障されている。その保障に相応しい教育を厳格に受けねばならない。そのため、一切の寛容は許されない。
そんな考え方だと聞いています。
その成果がどの程度かは、判断材料がありませんが、自由の国の悩みであった公教育の荒廃が、
この制度の導入で、以前ほど取りざたされなくなったのは、事実のようです。
日本の公教育の最大の弊害は、教員の身分保障にあると考えてます。
一度身分を掌中に納めますと、努力しなくても身分は安定、一生食うに困らない。
仕事の実績は評価も、公表もされず、成果を問われることもない。仕事の技能は塾に丸投げ、
おまけに、他の公務員に比べても給与は4%ほど高い。
多少ひがみも入りますが、休みが多く、共働きにも堪えられ、子育てしながらも働ける。
民間企業ではとても考えられない「身分が保障」された仕事内容と雇用形態です。
反論があるのは承知です。大分が顕著な例です。教育関係者や公務員がその子弟を教師にしたがるのは、一生の身分が保障されるからです。そこには、「教育者としての尊厳」は全く感じられません。
そこに垣間見えるのは、我が子の安穏たる未来を保障したいとする「親」の思いだけです。
決して、その思いが、悪いわけではないでしょう。人の情として不自然でもありません。
でも、公の仕事に携わる以上は・・・教師という職業を考えれば・・・到底許されません。
力が入りすぎて、ブログが長くなりました。
私の結論です。この際です。自浄作用が可能ならば、教員が立ち上がり、
身分保障に相応しい、「教員ゼロトレランス」を自ら実施してはどうでしょうか?
それも出来ないようでは・・・・・・・・・公教育も・・・・・・・
そこまでの、厳格さが問われているのが、大分教員試験不正事件だと思うのですが。
遠吠えでしょうね。ご意見を頂ければ幸いです。
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