分福

民俗学に学ぶ時かもしれませんね。
分福って言葉があります。
文字通り、お互いに幸を分け合って生きるの意です。
最近の日本人は自分のものは自分のもの。人のものも自分のものと思い上がっています。
特に拝金主義が齎した貨幣への執着。取り分け高齢者の貪欲さには目を覆いたくなります。
そもそも日本人は・・・・・。などとは偉そうに言える立場でもないのですが。
日本民族は、2千有余年の歴史の中で、集落を形成し、狭い国土を耕し、分かち合って、同質社会を形成してきました。どうもその同質社会が壊れてしまった気がします。
都会が壊れたのは、何となく分かりますが、岐阜のような何の変哲もない片田舎までもが、同質性を失なったのは残念です。特に、高齢世代が、地域意識を失い、恥を恐れず、権力、利権にしがみ付く姿、自分勝手でわがままな振る舞いにはやるせない気持ちです。(勿論、私も高齢世代の仲間です)
すべての原因が、メディアの偏狭な弱者としての高齢者崇拝思想に基づくとは思いませんが、本来、この国で「生かされ、生きてきた」高齢者にこそ同質社会を受け継ぐ使命があるにも拘らず。身勝手さと増長には呆れ返ります。
昨日、09年度予算の財務省原案が内示されました。セレモニー的な重点化策の茶番は別として、私の率直な感想は、社会保障をこれ以上手厚くすれば、角を矯めて牛を殺すことになるとの思いが拭い去れません。
経済不安に対する対策の強化が、社会保障に繋がるという原理原則を無視した、総花的な予算組みでは、景気回復も期待薄です。(システムが変わらない以上致し方ないのですが)
国家の財政は借金まみれ、厳しい財政状況です。このままでは将来に禍根を残す。と、殆どの国民は理解しています。しかし、現下の経済状況では、企業は財政援助、補助が欲しい。弱者の窮状を補填せねばならないなどなど要求は切実です。
それも、これも国民は分かっています。
そんな時勢に何が必要なのか?
それは、高齢者、長老が、自ら犠牲となる事を覚悟し、我慢、辛抱すべきです。
そもそも、日本民族の同質性とは、親が子に、子が孫に自らを犠牲にし、福を分け与えることによって、営々と培われてきました。高齢者はそうすべきです。
この緊急事態、経済が異常なスピードで収縮しているのですから、お互いが主張を繰り返せば、強者が生き残り、弱者が朽ちます。そうなるに決まってます。その前に、覚悟すべきです。
日本の歴史では、こんな経験は何度も繰り返したのではないかと思います。
その都度、それを乗り越え民族の営みを続けて来れたのは、分福(あるものを分け合う)の思想が形成されてきたからです。
今こそ、同質社会とは、如何なる社会だったのかを、民俗学から学ぶ時ではないのか。
と、書棚の「忘れられた日本人」(宮本常一著)に思わず手が伸びます。
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