再チャレンジ

岐阜市が変わりそうです。
この世に完璧な人間はいません。人間である以上、どんなに注意を払っても、ミスは憑きものです。
たとえミスを犯しても、悔い改めれば、寛容であるべきです。
私も経営者の端っくれ。仕事で、ある程度のミスが起こることは覚悟しています。ミスにも色々あります。点検を怠ったり、手を抜いたりする不注意によるミスは、厳しく戒めます。
しかし、積極的にチャレンジしてのミスには、被害を被っても、授業料だと諦めます。また、経験や認識不足によって起こるミスについては、若いスタッフの集団です。寛容であらねばと思っています。
と、偉そうに、言うのですが。自分の過去を振り返ってみれば、まさに、ミスの連続。周りの人に迷惑のかけっぱなしです。たとえ社員であっても、人のミスを戒めるなど、おこがましいと、自覚しています。
多分ですが。私がミスを繰り返しても、許されてきたのは、常に前向きに「志」を持って「チャレンジ」精神を貫いてきたからではないかと、思っています。ですから、ミスでも、許されるミスと許されないミスが、あるのが、解るようになりました。
最近、政治の世界に、若者のチャレンジが目立ちます。日本の将来にとって明るいことです。彼らは、経験も乏しく、危なっかしいい面がありますが、「志」の高さには、敬意を表するものがあります。
先頃、来年の一月末に施行される岐阜市長選に、40歳の青年が「岐阜の元気といのち」をスローガンに、立ちあがりましたので、その集会を覘いてきました。
彼は、03年の総選挙に民主党から出馬落選。選挙違反に問われました。34歳のときです。「電話戦術」を手伝ってくれる支援者に、アルバイト料を払おうとした。厄介な公職選挙法、その認識を誤った実に単純なミスです。
集会では、そのミスを心の底から詫び、深々と頭を下げ、集まった聴衆から、温かな拍手が送られました。岐阜をこよなく愛する私としては、停滞するこの街を変えようと「志」の高い若者の、その素直な姿勢に、心打たれました。
多分、300名近くの岐阜市民も、同じ気持ちで、青年を許したと思います。
ミスを悔い改め、再チャレンジする青年を許す。その寛容さが、この街にあることに、救いを感じたと同時に、若い力で、街の元気を取り戻して欲しいと願う次第です。
どうも、岐阜市が変わりそうです。              Goto

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