新聞命

新聞週間に考える。
新聞を読もう。が、このブログの主旨です。今週は新聞週間。
新聞についてのご意見を頂ければありがたい。と思っています。
手元に、恐ろしい本があります。10月号の文藝春秋にも同様の一文が寄せられていましたが、毎日新聞の元記者、佐々木俊尚さんが書いた2011年「新聞・テレビ消滅」という題名の本です。
中日新聞の代理店でスタートした我社としては、新聞広告こそが仕事の原点だと思っています。
我社の先代である親父殿は新聞記者の出身。子供の頃から「インクの匂い」を嗅いで育ちました。
私は、「新聞命」で生きてきました。
このブログでも、新聞社の役割や使命についてや報道姿勢などに言及してきました。また、仕事の上でも、なぜ、新聞広告が激減するのかなどについても様々な角度で、考えてきました。
たしかに、新聞社の経営は悪化。朝日新聞ですら、今期の赤字が予想されています。勿論、大量のストックがあります。今日、明日にどうかなるってことは、ありませんが、新聞のビジネスモデルが陳腐化して、その先が見出せない状況にあることは確かです。
ですが、たとえ、新書であっても、面と向かって新聞の将来を「消滅する」なんて言われますと、心穏やかではありません。
今年も新聞大会が静岡で開催されました。その決議文を読んで。私は不本意な内容だと思いました。なぜなら、危機感がないからです。「真実の言葉と文字を紡ぎ、最も信頼されるメディアであり続けたい」と宣言していますが、奇麗事を並べても、経営危機に陥っている本質は見えません。
もはや、読者は新聞報道に正義や真実が凝縮されているとは思えなくなっています。でも、新聞の価値を認めている。そのギャップに気付いていない。つまり、読者の変化に気が付いていない・・・・・。
偽りのジャーナリズムをかざして、新聞週間に呼びかけても、虚しさが残るだけです。
全ての生物は種の保存、継承のために、エネルギーを傾注するものです。
そのために必要なものはどん欲に取り入れ、不必要なものは捨て去ります。
生き残るとは非情なものです。変化しないものは、必ず滅びます。
新聞が、人類が生き延びるために必要な情報手段であるとするならば、新聞は変わらねばなりません。変わらなければ、早晩、佐々木氏の予言どうり、消滅する運命にあると言えます。
残念ながら、新聞に関わる人たちには変化に対する意識も、経営に対する危機感も乏しいと思います。
新聞命の私としては、「新聞が消滅する日」が来ないことを心より願い、一人でも多くの人に、新聞の役割と価値を訴え続けていければと、新聞週間に思っています。                            Goto

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