道理

枯れ木に水を撒くのも限度があります。この国の社会保障、過剰ではないでしょうか?
子供の日だから子供のことを考えると、どうしても大人を考えなければなりません。モノの道理は社会が作るもの。社会は大人が作るものです。モノの道理が通じる大人の国でなければ子供は健全に育たないからです。
何やら理屈っぽいのですが。大人にしっかりせよ。と自分自身も含め戒めたい。
社会保障の国家予算が年々1兆円ずつ増えています。そんなに増えて大丈夫なのかとの疑問を、なぜ、大人は抱かないのでしょうか?
私も還暦を過ぎ身体のあちらこちらに金属疲労が目立ち、医療機関にお世話になっています。高齢社会です。社会保障費がかさむのは当然。そんな疑問は愚だと、思っていませんか?
果たしてそうでしょうか。高齢者介護施設で医師の診断があれば介護費が月90万円支払われていると中日新聞がスクープしました。医師の不正を追及した内容ですが。私には寝たきり老人に月額90万円の負担をする、この国の社会保障制度は異常だと思えてなりません。
月額90万ってことは、年額で1080万円ってことです。
銀行の支店長でも1000万円の年収はありません。私には信じられないことです。
誤解を恐れず申しますと、この費用は誰が負担するのでしょうか。税金と介護保険料。つまり国民が負担するのです。働く国民が支払うのです。明らかに過剰介護です。こんなバラマキ社会保障を続け、そのことに国民が何も言わない。これでは早晩、国は滅びます。
この国の介護費や医療費は適正なのか?社会保障費が年間1兆円ずつ増えてよいのか。社会保障の予算を減額することは悪なのか?高齢者医療費は大幅に値上げすべきではないのか。高齢者福祉の自己負担を増額すべきではないのか。
子供の日に考えなければならないのは、子供に負担を強いる社会の軟弱さを戒めることではないでしょうか。戦後。65年。経済の発展によって、この国は世界に冠たる福祉国家になりました。
しかし、その果実は、もはや過去のものです。今まで以上に社会保障が充実するなんて道理は通りません。大人が我慢せず、子供に負担を押し付ける社会ではモノの道理が通りません。
子供を思うならば、枯れ木は新芽のために、栄養分は控えるべきではないかと思うのですが・・・・・。 暴論でしょうか・・・・                                           Goto

コメント

  1. Goto より:

    コメントありがとうございます。
    哲学の問題ですね。人間とは何か。生きるとは。老いるとは・・・。前提条件として・・私は「己に厳しく人に優しく」ならねばと思うのですが。難しい問題です。
                Goto

  2. kmforest より:

    老後の社会保障について、大変に難しい問題であると思います。
    誤解を恐れずに書くとすれば、医療技術の進歩により心臓を動かし続けることは随分出来る様になりました。
    今後は、生命のクオリティーを上げるためにどうすべきか という、新たな観点からの見方が進むのだろうと思います。いかに充実した終末を迎えるか。
    随分と難しい問題であろうと思いますが、先日お亡くなりになった井上ひさし氏の吉里吉里人において、医療哲学を充実させねばならないと主張されていたことを思い出します。

  3. Goto より:

    CMのコピーに「私が変わる。世界が変わる。」って凄いのがあります。広告の説明に納得して、新商品やサービスを受け入れる。そうすれば「私」が変わり、その延長線で「世界」も変わるかもしれない。政治家を変えたい気持ちは同じですが・・・世界(世の中)を変えるにはまず、私が変わらなければならない。と思っています。
                   Goto

  4. レモンハート より:

    社会保障制度も異常。子供手当ても異常。高校無償化も異常。子供の親は大人達。皆がお金に群がる。これじゃあ自立して生きる人もいない。私の意見も暴論かもしれませんが活気をもたらすなら移民を受け入れればいい(教育・文化については何らかの対策が必要でしょうが・・)。日本人=単一民族と思っている考え方をあらためることが始まりのような気がします。