再び、日が昇るのではと密かに、期待しています。
私が物心ついた住居は、岐阜市に戦後初めて建てられた集合住宅でした。産まれて三ヶ月、新聞記者だった親父殿の転勤で、大野郡宮村、現在の飛騨高山市に引越し3年間過ごしました。「三つ子の魂百まで」と申すなら私の魂は飛騨高山で培われたってことになるのでしょうか?
昭和26年、岐阜本社に復帰。新装なった県営アパート(鉄筋コンクリート4階立て)に転居。岐阜市の鎮守、伊奈波神社の脇、金華山の麓で、部屋から見上げると岐阜城が見える立地。そこで戦後の復興期、18歳まで暮らしました。24世帯。県営だったせいか、住居者は県の職員が7割を占め、さながら県職員の官舎。残りは新聞記者や警察官など・・・
そのアパートの唯一の欠点は・・・今にして言えることですが・・・風呂がないことでした。
ですから、夕方になりますと、住民が声を掛け合って、近所の銭湯に通ったものです。この地方の大概の銭湯は、タイルの壁には富士山と帆掛け船。湯船が三つあり、一つは普通の湯。
他に電気が流れている「電気風呂」身体がしびれる感じで、筋肉を刺激するとか。職人や肉体労働の人たちに喜ばれ、硫黄の臭いがする「六一〇ハップ」が入れられ白濁色の湯が特徴の「薬風呂」があり、温泉気分で年寄りが長く浸かる・・・そんな銭湯でした。
昭和40年代後半から、住宅環境が良くなり、内風呂が増え、銭湯の需要が極端に減少。私の通った伊奈波湯も姿を消し、多くの公衆浴場が消えつつあります。私のような銭湯で育ったモノには寂しい限りですが、昨今のスーパー銭湯ブームは、ひょっとすると、公衆浴場復活の兆しなのかもしれません。
我が社の発行する「地域みっちゃく生活情報誌®」の三重県名張・伊賀市で発行する「リィーガ」(35000部発行・名張・伊賀市全戸配布)の銭湯特集が企画されました。写真を眺めていますと、心がキュンとなりノスタルジーに駆られます。
愛知県の銭湯(128施設)は円安の影響で燃料費が高騰、さらには消費増税などの影響を受け、4月から料金を20円値上げして420円にすると発表しました。値上げが妥当かどうか。判断は別にして・・・公衆浴場にはぜひ、がんばっていただきたいと願います。Goto
2013年11月号 地域みっちゃく生活情報誌®「リィーガ」
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