カタカナの名前

戦後70年、戦争は本当に終わったのか?
ゴールデンウィークなる大型連休が終わりました。フゥーという感じです。私は高度成長期の残像を残す最後の働き蜂、企業戦士ではないでしょうか。家庭よりも仕事、寝ても覚めても仕事が頭から離れない。仕事がスタートするとウキウキしてきます。もう・・ビョウーキです。
「働くこと美徳である」と私は信じています。勿論、休むこと否定しているわけではありません。ワークライフバランスの時代です。仕事と余暇、あるいは仕事と家庭、バランスよくこなして生きるのが最も相応しい人生だと思っています。
が、私はどうも、不器用なんでしょうか。仕事と休み、仕事と遊び、余暇の区別がつかない。身体も頭も元気に動くうちは、仕事を通じて(広告業ですが)「地域社会を元気にすることである」と思っていますので、「ハイこれはここまで」などと、区切って整理することができない。
だが、私のような仕事は一人ではできない。お客さまあり、仲間がいて始めて仕事になる。ですから。休みは頭は休まないが、行動しても相手がいない。大型連休になれば、仕事ができない。仕事が始まるとなると思わず「フゥー」と息を吐いてホッとする。
さぁー・・一年で最も活動しやすい季節だ。暴走老人と言われようが、仕事を遣らせて頂ける身に感謝して、がむしゃらに働くぞ。そんな覚悟の朝です。
それと、私がこんなに張り切っているのは、先の大戦後にソ連に抑留され亡くなった日本人1万723人の名簿が4/30・厚労省から公開されたからです。読売新聞が5/1付朝刊で全員の氏名を掲載しました。(朝日・毎日はしませんでしたが)
私もブログに名前を載せさせて頂きました。北朝鮮興南・元山、中国大連、樺太で2130名、そしてシベリア、第46収容所付属病院、第552独立労働隊第1346軍事病院、第2926内務省特別病院、第380通過収容所、第202野戦病院、第53送還収容所での死亡者・・・と死亡場所と・・
カタカナ文字で。カタカナって本当に冷たいなぁ。このカタカナのお名前・・・死亡場所も記載されていますが、病院などとは名ばかり、激寒のシベリアで、衣類も食も満足に与えられず強制労働をさせられ・・望郷の念に苛まれながら死んでいった人々。無念が伝わります。
戦後70年と言うけれど。「カタカナ」の名前を読みながら、戦争なんて終わってないじゃないか。「カタカナ」の名前の人たちは生きて日本の土を踏み、働いて働いて働き抜きたかったに違いない。そう思うと、何が大型連休か。何がゴールデンウィークか。私は気の済むまで働きたい。Goto
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5/1読売新聞

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