新聞は読者を慮っているか。いや、読者の方を見ていますか。
この「メディア私評」には考えさせられました。
国立情報学研究所の新井紀子教授の「やさしい新聞」(小中学生にも伝わる
文章をめざせ)と題した朝日新聞に掲載された評論です。
なるほどと大納得するのは、新聞が・・・字数の制約や締め切りを理由に、
不明瞭な記事を書いて済ますのなら、それは読者に対して不誠実と言わねばならない。
文章を書くことを生業とする人はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の刊行物を
読んで欲しい。高校までの英語を習得していれば、辞書なしで理解できることに
驚くであろう(内容は世界に発信したい新しい概念で満ちている)・・・と両断したことです。
ユネスコの刊行物に高校までの英語習得があれば、が問題ですが・・・。
新聞記者は優秀です。いや優秀な人が記者になっています。
記者はと申し上げるのではなく、新聞は・・・と申した方が良いのですが。
そもそも、新聞記事は義務教育レベルで読めることを建前としています。
であれば、自分の書いた記事が中高生に読解可能かを日々意識して書いている記者や
デスクが果たしているのだろうかと疑わざるを得ない記事が散見されます。
読解できなければ、途中でやめるか飛ばせば良いってことになります。
そんな記事(中高生が理解できることを念頭に置いていない記事や論評)が増えますと、
新聞を購読していても読むのが面倒くさい。スマホでわかる範囲かニュースでいいとなり、
購読者の減少に繋がります。新聞経営の根幹です。
作家の故井上ひさし氏は、文章を書く上での留意点を
「難しいことを易しく伝え。易しいことを深く伝え。深いことを面白く伝える」と。
新井教授は小学生向けの「子ども新聞」を発行する新聞社に対して、
紙面を見ると語彙や言い回し、言葉の係り受けの複雑さなどの難易度がバラバラで、
総ルビや文末の「です、ます」とイラスト(漫画)を多くすることで、
子ども向け新聞だとのアリバイづくりをしているようで、心が通っていない。
「小学生に正確に伝わる文章とは何か」について、社内で検討しているとは思えない。
と子ども新聞を批評しています。
そう私評されますと、新聞社の姿勢どころじゃない。
我が身に返って、自分がわかっていることは、相手もわかっていると勘違いして、
思い込みで、文章だけではなく、身勝手極まりない言葉を吐く自分がいることに
気づかされます。Goto
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