新聞を読まずして、時代は読めない。
突然ですが、あなたは新聞を読んでいますか。
その前に、「新聞を購読していますか」と聞くべきかもしれない。
手元に新聞がない。若い世代には、ごく普通のことなのでしょう。
偉そうなことを申す私も、学生時代は新聞を購読していなかった。しかし、仲間との議論や世の中の話題は、朝日新聞の記事に影響されたものが多かった。なかでも日経新聞を欠かさず読んでいた友人たちは、その後、企業や社会の中核を担う立場になった。偶然だけではあるまい。
もちろん、新聞を読めば出世する、読まなければ駄目だ、などという単純な話ではない。新聞を読む人は、毎日、自分の知らない世界に触れる。政治、経済、国際情勢、文化、科学、地域社会。興味のない記事まで目に入る。その積み重ねが視野を広げ、物事を多面的に考える力を養うのである。
スマホは、自分が見たい情報を素早く届けてくれる。便利である。しかし、その便利さゆえに、関心のあるニュース、耳に心地よい意見ばかりに囲まれやすい。新聞は違う。一枚の紙面に、賛成も反対も、喜びも悲しみも、世界も郷土も並んでいる。新聞を開くとは、世の中を丸ごと引き受ける行為なのだ。
今年7月末、第31回NIE全国大会が広島で開かれ、全国から教員や新聞関係者ら約1400人が集まった。NIEとは「教育に新聞を」という取り組みである。「ニュースとであう 社会とつながる~『自分』を育てるNIE」を掲げ、公開授業や実践発表が行われた。
意義は分かる。しかし、読売新聞の記事を読んで、どこかピントが合っていないと感じた。新聞記事から問題を掘り起こす授業は、確かに有益である。だが、それだけなら、新聞を教材に使った教員研修であって、NIEの本質とは少し違うのではないか。
新聞は、昔も今も、読む子は読む。読まない子は読まない。新聞離れの時代に、すべての子どもに新聞を読ませようと工夫を重ねることには、どこか無理がある。それよりも、朝日や読売などの子ども新聞を会場に並べ、なぜ作るのか、何を伝えたいのかを制作者が率直に語る。教員は、それが教育にどう生かせるかを本音で論じる。新聞の役割と魅力を、もっと正面から語る大会であってよかったのではないか。
新聞協会には、新聞を教材へと加工する前に、「なぜ新聞を読む必要があるのか」を堂々と訴えてほしい。政治に携わる者なら当然、経済人なら必然である。激しく揺れ動く時代を、新聞に触れずして読み解くことは難しい。
新聞を読むとは、ニュースを知ることだけではない。社会に無関心でいないという、日々の意思表示なのである。Goto


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