拍手で終わる労働運動でいいのか。

「がんばろう つきあげる空に くろがねの男のこぶしがある、
燃えあがる女のこぶしがある」

十月半ば。五月のメーデーから半年近くもたちましたが、労働運動の原点を考える出来事がありました。連合の意思決定機関である中央委員会の幹部会が千葉県浦安市で開かれ、恒例の「頑張ろう三唱」ではなく、拍手で締めくくられたというのです。

学生運動を少しかじり、政党の書記局に勤めた経験のある私には、労働運動の場で拳を突き上げ、「頑張ろう」と三唱しなければ力が入らない。時代が変わったのでしょうか。

芳野会長は、連合には「何でも反対」「いつも拳を突き上げている」という印象があり、若者や女性に敬遠されるのではないか、「頑張ろう」も人気がないので今回はやめた、と語ったそうです。今後は状況に応じて判断するとのこと。イメージを変える小さな一歩なのでしょう。

しかし、掛け声を変えれば労働運動は再生するのでしょうか。メーデーの始まりは、1886年、アメリカの労働者が八時間労働を求めて立ち上がったことにあります。長時間労働を改め、人間らしい暮らしを守る闘いでした。1890年に国際メーデーへと広がり、日本でも1920年に上野公園で初めて開かれました。働く者が暮らしと尊厳を守る切実な願いが、その出発点です。

労働組合の役割は政府への要望だけではありません。働く人の声を束ね、経営者に労働の価値を認めさせ、正当な賃金を勝ち取ることです。安倍内閣の頃、政府が企業に賃上げを求める姿を見て、「労働組合は何をしているのか」と問われたこともありました。物価高で暮らしが苦しい今、連合が力を注ぐべきは政治的な駆け引きより、賃上げではないでしょうか。

大企業や輸出企業の好業績が報じられても、中小企業では賃上げの原資を確保できず、働く人の生活は厳しいままです。

労働運動には、そうした職場に目を向け、価格転嫁や適正取引を促し、賃上げを広げる役割があります。それが労働運動の本筋です。組織率が過去最低水準なら、働く人が「組合は暮らしを本気で守る」と感じる活動が要ります。

三唱をするか、拍手で終えるかは、確かに時と場合によるでしょう。けれど、形を変えるだけでなく、労働運動の中身を問い直したい。働く人が働きに見合う報酬を得る。それは人間として当然のことであり、社会の土台です。連合の幹部の皆さんには、労働運動の原点に立ち返り、賃上げ闘争の先頭に立ってほしい。拳を上げるかどうかにかかわらず、その覚悟が伝わる運動を今こそ期待します。頑張れ、働く人のための労働運動。Goto

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