座高測定

文科省はトヨタから人材を借りて、教育現場の改善運動をやりましょうよう。
何事にも疑念を抱いたり、疑って掛かったりしますと、なぜか、悪いことをしているとか、よくない考え方だと思うかも知れませんが、そんなことはありません。一つひとつを点検して、他の手段や方法はないのかとか無駄なことなら変えよう、止めよう・・・と検証することは、日常生活に流されないためにも、とても重要です。
昨日と今日が違うように、昨日まで続いていることを、何の疑問も感じず、今日も同じように続けることは進歩も発展も、改革する意思もない惰性の人生です。それでは折角この世に生まれ、生きていることに意味がありません。少なくとも我が社の社員スタッフは、広告の仕事をするのですから、何事にも・・・これで良いのかと、疑って掛ることが肝要です。
疑わないばかりにこんな馬鹿げた事が、今尚教育現場で行われているのを日経の春秋で知って、文科省も教育委員会も教師も・・・もちろん、我々大人も・・・何と愚かか・・・日本人とはなんと変化を嫌う生き物なのかを思い知りました。
私の子ども頃。体力測定がありました。測るデータは3つでした。身長と体重。もう一つは何だったか?思い出して下さい。身長計にお尻を乗せる椅子が付いてましたよねぇ。そうです。座高を測っていました。私は石原裕次郎張りに足が長いと自慢気でした。でも体力・発育とどんな関係があったのかなんて、考えもしませんでした。勿論、先生も。
なんでも、測定するよう法令で学校に義務づけられているそうで、文科省の有識者会議が先日「ほとんど役にたっていないから廃止すべき」と報告。早ければ再来年から座高測定はやめると。役に立っていないに「ほとんど」をつける有識者。「ほとんど」だから再検証して、再来年からやめると決める学校のスピード感の無さ・・・・
これが、日本の教育現場の対応かと思うと、腹が立つより、 呆れてしまうのですが。その理由がまた、奮っている。そもそも座高測定は昭和12年、戦時下で、「胴体が長いと内蔵が丈夫で軍隊に向いている」という理屈。終戦になり、徴兵制もないのだからやめれば良いのに・・・・
そこはそれ変化を好まぬ文科省の役人。「椅子や机の高さを調整するため」と理屈を付け、今尚続いている。でも、そんな調整をしたことは一度もないそうな(文科省)。疑念を持ったら疑って掛る。そして、おかしいと思ったら、改革する。そんな当たり前のことが出来ないことに忸怩たる思いで、春秋を読みました。
しかし、そう考えるとさすがに世界のトヨタ。改善運動とは、「なぜ」と疑うことですから。文科省もトヨタから人材を借りてはどうか。Goto

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