私には心が満たされませんね。
立って半畳。寝て一畳。生きるに最低限必要とするスペースです。
一汁三菜、日本食の原点です。それ以上は贅沢です。
春夏秋冬、着の身着のまま。精神力で、寒暖差など乗り越える。
心頭滅却すれば火もまた涼し・・・禅寺での雲水の修行です。
最近、若者の間で・・・身の回りに不必要なモノは一切置かない。
モノのない空間楽しむ。物事を最小限の視点で考える・・・
そんな、禅宗修行僧のような生活を好む・・ミニマリストが増えている。
識者の理屈は消費が成熟した時代の到来だ。
モノはもう十分にある。広告が街角やwebの空間を埋めモノを買えと脅迫してきた。
そんな脅迫観念には負けない。
生まれた時から「不況ネイティブ」な「ソーシャルネイティブ」世代。
自分の欲しいモノはネットを探ればなんでも手に入る。その必然が「物欲レス」
モノがステータスや幸せの証明にはならない。
モノからコトへ、見えるモノから見えないモノへ。
消費をめぐる選択が生き方を映し出し、モノに代わって、
ライフスタイルを消費する時代となったのだ。
歴史的には金閣寺などの華美な北山文化に対し
銀閣寺に代表される「わび・さび」の東山文化。
それが究極のミニマリストの考え方だと力説する。(朝日・耕論・持たない生き方から)
ミニマル・・最小限で生きる。なるほど。と、思わないでもないが。
自分の部屋に、絵の一枚も飾ってない。読みかけの本も落ちてない。
ティッシュペーパーの箱もない。
あるのはiPadとiPhoneとMacBook、そして、それぞれの充電ケーブル、
ケーブルを収納するケース、アダブター、モノよりデータ、
情報の中だけに生きるミニマリストなんて・・修行僧とも違う。
私には心が満たされませんねぇ。Goto
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