号外は語る。

歴史とは「ひとりひとりの無名の人間」がつくるのでしょうか。
「新聞命」の私です。このところの新聞を捲っていますと、
妙に寂しくなりますねぇ。連日、平成の時代を検証する紙面が掲載されますから。
やっぱり、平成という時代に壮年期から老年期を迎えたからなのでしょうね。
「終わり「最後」「お別れ」「去る」「居なくなる」「さようなら」なんて言葉を聞くと、
誰もが虚無感に苛まれるんでしょうねぇ。それって万国共通なんでしょうかねぇ?
毎日新聞に「平成の記憶」と題して、平成の30年間に毎日新聞が発行した
号外がずらりと並びました。(写真参照)
主筆氏は、作家、宮本輝さんの大作「流転の海」完結編の「あとがき」……
7千枚の原稿用紙で何が書きたかったのかと問われれば……
「私は戦後史を書こうとは思わなかった」「ひとりひとりの無名の人間の
壮大な「生老病死」の劇と答えるしかない」との言葉を引用……
血の通う歴史とは「ひとりひとりの無名の人間」のことを指すと言う。
紙面を埋める28枚の号外は、平成の年代記です。
国民的な祝事もあれば理不尽に奪われた命が綴られています。
新聞の号外は、発行号歴に関与しない、文字通り号に数えられない存在です。
号外を紐解きながら、歴史とは詰まるところ「ひとりひとりの無名の人間」の
喜怒哀楽が一滴一滴、大河の流れとなりつくられていくものなのだろう。と、
些か、感傷的な切り口には首を傾げるが、号外が歴史の象徴的断片を扱ったのは事実です。
平成の記憶として紙面に掲載されている号外は28枚。
14年には一年で日韓ワールドカップ初勝ち点。田中氏ノーベル科学賞、拉致の5人帰国と
3回発行された。他にも年間2回発行された年が5年ある。
しかし、一方では平成2、4、6、8、11、12、15、19、21、22、25、27、30の各年には
一度も号外が発行されていない。1年間に何度も号外が発行される年とくらべ、
どちらの年が「無名のひとりひとりが歴史を刻んだのか」
平成の号外を眺めても、主筆氏の論が私にはわからない。
ただ、後2日間で我々市井の庶民にとって「平成の喜怒哀楽を包み去る」のは
疑いようのない事実です。時が最も残酷な歴史の創造者なのかも知れませんね。Goto
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4/23毎日新聞

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