つむぐ

平和・被爆者3564人の願いを後世に・・・

今年は終戦80年です。それは被曝80年でもあります。
朝日新聞・中国新聞・長崎新聞は、高齢化する被爆者の声を後世に残す。
多分、これが最後ではないか?そんな思いから被爆者アンケートを実施。
3564人の声を集め、その「紡いで」語り伝えようと、3紙合同の企画「つむぐ」を掲載しました。

長崎新聞からは・被爆した四姉妹・長女の体験が綴られます。
その日の朝、母と1歳の四女は病弱な父のために、病院へ薬をもらいに。
爆心地から2.5キロ。三姉妹と父は防空壕へ逃れたが。父親の日記が。
二人を探索に向かった親子は・・病院の近くに女性と子どもの遺体があったと聞き、一握りの灰を持ち帰った。日記には、18日「暴爆に一片の骨もなし、焼け跡の灰一握り、汝ら納め祀れり」とあった。3年後、病が悪化、父が亡くなり、3姉妹は離散する。

中国新聞からは・原爆孤児の夫婦が「お好み焼き屋」を営みながら、逞しく生きてきた足跡を報じる。男性、5歳、爆心地から1.8キロの自宅で被曝。忘れられないのは、救援トラックの荷台に乗せらた母の血まみれの姿だ。遺骨さえ見つからぬ。終戦後、南方の戦地にいた父の戦死公報が。弟と祖父母に育てられた。

女性は爆心地から1.2キロの自宅で被曝。母は出掛けたきり。父はその3年前に結核で亡くなっていた。彼女も祖父母に育てられた。二人は縁あって結婚。被曝20年後、自宅横にお好み焼き屋を開く。多くのファンに惜しまれ24年に暖簾を下ろした。

朝日新聞は・広島・長崎以外に暮らす被爆者たちの、忘れ形見の柱時計・そろばんを語る。胸を締め付けられるような体験を報じる。
私は長崎・中国・朝日新聞の合同企画に改めて敬意を感謝を表します。

アンケートから得た貴重な証言に。
データ化することで、全体像が把握されたことに。
とりわけ、三紙で分担・連携したことに。
(長崎・中国新聞の個別ヒューマンストーリーと朝日の全体像の分析を
相互に補完した内容に)

世界はきな臭いです。とりわけロシアのウクライナ侵略・・・
いつ、ロシアが核兵器に手を掛けるか?予断を許さない状況です。
この三新聞社の合同企画「つぐむ」が、まずは日本人の「平和」への
願いを紡ぐことに寄与して欲しい。
整理された3564人の体験は精査してしっかりと残して欲しいと願います。

それとです。
被曝80年を一つの区切りとして、すべての日本人の子どもたちが、
広島と長崎の原爆資料館を訪れることを義務化して欲しい。
原爆の恐ろしさを知ることで、「平和」の大切さを学べるからです。

我が社が発行する地域みっちゃく生活情報誌でも、発行エリアの被爆体験者が
おられるなら、掲載させて頂きたい。

子どもの費用ぐらいは、国が予算化すべきです。
高齢者福祉を削って結構ですから。Goto

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