――戦後80年の影に沈むもの――
今年は戦後80年。8月15日の終戦記念日には、例年になく平和への報道が多く、改めて戦争の記憶に向き合った。しかし11月も下旬となると、その重みも、平和の尊さも、どこか遠のいていく。人の記憶とは、かくも薄れやすいものか。
WOWOWドラマ「1972 渚の螢火」を見た。原作は坂上泉。舞台は沖縄返還直前、本土復帰を前に起きたドル資金強奪事件。
だが事件の背景には、米国による26年に及ぶ占領と、米軍人による人権蹂躙、そして沈黙を強いられた沖縄の人々の苦悩がある。
私はあの時代を生きた。学生運動の只中にいた。佐藤栄作訪米阻止、佐世保エンタープライズ入港反対、成田闘争、アスパック反対。
若気の至りであったが、あの情熱の根には「何かを変えたい」という叫びが確かにあった。だが、果たして私は沖縄と真正面から向き合ってきただろうか。
沖縄戦末期、牛島満中将は「島民はよく戦い、よく従軍せり。後世、特に厚遇せられんことを希ふ」と訓電を残して自決した。
その言葉の重さに、我々本土の日本人はどれほど応えてきただろうか。復帰の歓喜の裏に「何も変わらない」という失望があった。
日米地位協定はそのまま、事件・事故は今も続く。ドラマのラスト、娼婦殺害事件の怨念が晴れる瞬間、観る者に残るのは暗い沈黙だ。それはまさに、戦後80年という歳月の“忘却”そのものではないか。
池上彰氏が10月、宜野湾市で若い人を対象に「戦後80年、そして未来へ」と題して講演した。沖縄の強みは大自然、外から人を迎える心、そして凄惨な戦の記憶だと語る。だからこそ平和の尊さを語り継げるのだと。
高校生たちは「基地がなければ事件も事故もなかった」と率直に訴えた。
占領下の26年ではなく、復帰後53年の今も、なお何も変わっていないと。
沖縄の平和教育が、若者に現実を語らせている。だが、本土の高校生は沖縄を語れるか? 語れまい。大人ですら平和を自分の問題として考えていない国なのだから。
戦後80年とは何だったのか。平和ボケの80年ではなかったか。スローガンだけの反戦で済ませてよいのか。
私は思う。日本の指導者は、もう一度、米国に対して堂々と言うべきだ。
――日米地位協定を見直せ、と。
平和とは、祈るものではなく、築き続けるものだ。
「沖縄、1972」を見て、私は問われた。戦後とは何か。平和とは何か。その答えを、次の世代に渡すために、私たちはまだ語り尽くしていない。Goto


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