最近は結構、開き直っています。
古臭い人間だと、批判されても、還暦間近、身体も古くなっているのだから致し方ない。
ましてや、高度成長期、がむしゃらに働いてきたから、労働に対する考え方は、かなり古典的です。
最近の労働(業)の風潮には、時間さえ過ごせば働いていると勘違いしている人や、仕事とプライベートとは明確に区分するのが正しいと思っている人が多い。でも、私は、そうは思わない。
仕事にメリハリを付ける意味で、休みを上手く活用するのなら、理解できるが、身も心も、仕事から離れて、別世界のプライベート空間が存在するなどと言うことは、ありえない。
頭が仕事から離れ、他事にエネルギーを費やして、また仕事に戻れば、仕事が上手く行く。などとは妄想である。世の中そんなに甘くない。それが可能だと考えるのは、仕事の何たるかを理解していない証拠である。
その場限りや、生半可な気持ちで仕事が順調に進むなんてことはありえない。
ましてや、この不況下。人間力によって左右されるサービス業であれば尚更。(我社の話です)
私の持論です。それが古臭いと言われるんですが。人間は働かなくては、食べる。寝る。排出する、と同様に、生きて行けない動物です。働くとは生きることの一つであり「神聖」なことです。
如何なる仕事であっても、その仕事に大いなる意義を見出し、仕事に全身全霊を傾ける。
それが、結果として、プライベートの幸せに繋がる。と、思ってます。
24時間の大半。寝てる以外は、常に仕事の事を考えるべきです。それができないとするならば、
それは仕事に対する冒涜です。そんな人は、生きる価値が無い。と、言いたいのですが。
自ら選んだ仕事が合わない人。一生懸命になれない人は、その仕事がミスマッチなのか?仕事と言うものの考え方が間違っていると言わねばなりません。働く意味を再考すべきです。不幸なことです。
私は、生きていることは、働くこと。働くことが「生業」だと思ってます。
更に、働くことは、人間を磨くこと、即ち「業即修行」だと考えてます。
労働は「神聖」なもの、四六時中仕事のことを考えろって言うのは、
やはり、古いんでしょうね。でも、それで、どこが悪いと開き直ってます。
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コメント
古くはありません。ヤングな僕も同様に考えます。人として生きる以上、僕は一生懸命に生きたいです。
毎日このブログを読ませて頂き、人として修行に励みます。決して恥じる事なく。これからもご指導願います。