「大衆は愚にして賢なり」都道府県の公式マスコットを侮ってはならない。
毎朝、ウォーキングで岐阜メモリアルセンターに立ち寄る。総合運動場の隅に設けられたストリートストレッチで、老骨に鞭打つ。ほんの20分ほどだが、身体がほぐれ、誠に心地よい。
この夏も、ここではさまざまなスポーツイベントが開かれた。岐阜県が関わる催しに、青と黄色の「ミナモ」が登場すると、子どもたちの目が輝く。清流の水面に住む妖精。岐阜県民にはすっかりお馴染みの公式マスコットである。
仲間の高齢者数人とストレッチをしていると、通り掛かった子どもが母親に言った。
「せっかくミナモ体操を覚えたのに、ミナモに会えないねぇ」
「そういえば、最近見掛けないわねぇ」その何げない会話が耳に残った。
都道府県全体を代表する公式マスコットを持たないのは、現在、東京都と愛知県とされる。両都県にも「ゆりーと」「モリゾー・キッコロ」などはいるが、スポーツや博覧会など特定の役割を担うキャラクターである。人口が多く、都市や地域ごとの個性も強いため、一つのキャラクターに県全体を背負わせにくい事情もあるのだろう。
では、なぜ多くの道府県が公式マスコットを持つのか。行政の難しい施策を親しみやすく伝え、観光や物産、スポーツを応援し、郷土への愛着を育てるためだ。何より、子どもと行政を結ぶ、柔らかな懸け橋になる。
岐阜県は2026年3月末で、ミナモと専属スタッフを催事へ派遣する「チームミナモ」事業を終了した。ミナモそのものが廃止されたわけではなく、着ぐるみの貸し出しやデザイン利用は続く。しかし、イベントで会える機会は大幅に減った。県民から見れば、やはり「ミナモが消えた」のである。
財政上の理由だとすれば、如何にももっともらしい。しかし、子どもたちの夢を摘んでまで削らねばならない額なのか。県から十分な説明がない以上、ほんとうのところは分からない。
この4月から、前知事時代の事業や名称、プログラムが次々と見直されている。新しい知事が新しい県政を進めるのは当然である。だが、政治に過去への怨念や人への好き嫌いを持ち込んではならない。
人間学でいう「恩を知る」とは、前任者のすべてを否定せず、良いものは良いものとして受け継ぐことである。壊すことは一日、築くには十年、二十年を要する。
「たかがマスコット」と侮ってはいけない。子どもの素朴な疑問は、やがて大人の政治への不信につながる。大衆は一時、黙っている。忘れたようにも見える。しかし、見ている。感じている。そして最後には本質を見抜く。
大衆は愚にして賢なり。
ミナモを消したつもりが、県政の心まで見透かされる。
そんな愚だけは、犯してほしくない。Goto


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