愛情の反対は無関心である。

何事にも自分事で生きていたい。

最近、ブログが優しくなった、常識的になった、面白くない――そんな声を聞きました。そんな積もりはないのですが。毒気が抜けてはあかん。そう反省しながら、今日はあえて、私がどうしても言いたいことを書きます。

世の中が冷めている。自分のこと以外は、どこか他人事にしてしまう。そんな空気を感じます。米国によるイランへの攻撃を、私は無謀だと思います。ロシアによるウクライナ侵略は続き、ガザでも停戦後なお犠牲が生じています。遠い国の出来事だからと目をそらしてよいのでしょうか。

戦争は人の命を奪うだけでなく、エネルギーや物価を通じて、私たちの暮らしにも影響を及ぼします。日本では円安や物価高への懸念が続き、政府も難しい課題に直面しています。

「自分一人が心配したところで何も変わらない」。そう思う気持ちもわかります。しかし、国の行く末を政治家だけに任せ、報道を眺めるだけで、私たちは何も考えなくていいのでしょうか。社会をつくっているのは、私たち一人ひとりです。関心を失えば、何が起きても声を上げず、誰かが苦しんでいても気づかない社会になってしまいます。寂し過ぎないか。

マザー・テレサは「愛情の反対は無関心である」と語ったとされます。関心を持つとは、相手の痛みや社会の問題を、自分とは無縁だと切り離さないことです。すべてを解決できなくても、知ろうとする、考える、身近な人に伝える、自分にできることをする。その一歩には、確かな愛情があります。

自分と、自分の周りの人々の幸せを願うなら、社会の出来事も自分事として受け止めたい。職場の仲間の努力に気づき、地域の困りごとに目を向け、誰かの幸せのために力を尽くす。我が社は、そうした生き方を本気で目指している仲間の集団です。私はそのことを誇りに思います。

他人事で済ませず、自分事として向き合う人が増えれば、社会は必ず変わります。そして、人の幸せのために動いた人には、巡り巡って自分たちの幸せも訪れる。私はそう信じています。上機嫌で、しかし無関心ではなく。愛情を持って、今日できることに取り組んでいきたいと思います。Goto

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