道路

構造改革
私の自宅は、岐阜市の中心部からやや、北に位置したところにあります。
住宅地ですが、たんぼも、畑も、柿林も、まばらに残ります。
何処の地方にもある、農地が徐々に侵食されて住宅化しつつある(最近は鈍化してます)、
ごく普通の中小都市のドーナツ地域といった場所です。
近年は、市街地に空洞化と高齢化が目立ちますが、
周辺地区にも、空き家と高齢化の波が押し寄せています。
その、我が家のすぐ、北側と南側に東西の新しい道路が二本出来ました。
工事着工から随分時間を経ましたが、立派な道路、二車線ですが、歩道も付いています。
南側の新道路は中学校、養護学校、高校二校に隣接、危険だとの理由で
計画されてのでしょう。北側の新道は、旧道がうねってますので、バイバス化したのでしょう。
確かに、安全で、便利になりました。
しかし、学園地域の道路は、通学時には交通規制され、生徒の安全は担保されています。
その規制に不便を感じるドライバーはいません。
もう一方の、新道路。そのお陰で、沿道に店も出来始めましたが、旧道の店はシャッター化しました。
一本の道路がもたらす影響は、机上論では図ることが出来ないと思います。
そこに、生きて暮らすものの実生活と、かけ離れた計画が十年以上も遅れて実施されています。
道路特定財源を巡って、本格的な議論が始まるでしょう。
結構なことです。でも、必要な道路と必要でない道路を論じるのは、不毛です。
なぜなら、必要でない道路などありません。道路ができれば便利になります。
便利になることに反対の理由はないからです。道路が出来れば、そこに新しい街ができます。
しかし、少子高齢化の時代、一方では、その便利が、今ある街を壊し、
空洞化を招くことも、考慮する必要があります。
狭い日本に、利便性と新興を求め、道路を作り続ける議論には、
ここらで、終止符を打ちたいものです。
田舎の親父には、なにがなんでも、新道路建設が必要とは考えられない。
利便性が一番大切とは思えない。
むしろ、道路は、いまあるものを、工夫して、修理、補修を加え、大切に使う。
限られた予算です。その使い方を少子高齢社会へ舵を切る時ではないだろうか。
それが構造改革だよな。と、一人頷きながら。
車も人もまばらな、田んぼを裂いて造られた新バイバスの歩道を歩いてます。
あーっ。畦(あぜ)に、土筆(つくし)が。
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