絆(友愛)

人間は国家のために存在するのではない。国家が人間のために存在するのだ。
政治をかじったものなら、誰もが感じることがある。それは、権力の恐ろしさ。
もう少しで、手に入る(勝てる)と、思ったところで、足元をすくわれ、地に落ちる。
小沢問題は、まさに、権力(政権交代)を握ろうとする民主党に対する形振り構わぬ権力の攻撃。
権力とは恐ろしいもの。それを代表交代で切り抜けた感がある。
後は、西松事件の裁判で、衝撃的な?何かが飛び出さない限りは・・・・。と、思うのだが、権力闘争(政治の世界は一寸先は闇とも)は何が起こるか分らない。
しかし、民主党も第三者機関を設け、調査を始めたようだし、衆院の任期も、あと三か月に迫っている。ここから先、あまりに露骨な強権も・・・選挙妨害になるので、これ以上の暴挙は難しい。と思う?
さいたまの市長選挙、三月に自民党を離党した県議が民主支持で圧勝。そうなると、与党票が民主に流れている気配。千葉市も民主が勝つなら、政権交代の機運はますます高まる。
で、そうなれば、鳩山由紀夫が首相の座に付くことになる。
日本で初めて二大政党の時代が来る。
政治に不可欠なものは、理念である。となると、彼の掲げるキャッチフレーズ「友愛」について、
考えてみる必要がある。(まだ、早いかもしれないが)
政治スローガンとしての「友愛」は第一次大戦のヨーロッパに遡る。オーストリアの学者ウィーン大学教授リヒャルトが掲げた「もはや小さな国が、主権を張り合って血を流すべきではない。友愛の精神で欧州合衆国を創ろう」という、理念に端を発している。
第二次大戦で欧州は、ヒトラーに蹂躙され、再び戦火にまみれるが、
戦後、この友愛思想が醸造され「欧州連合」(EU)につながった。
「友愛」とは、フランス革命の「自由と平等」そして「博愛」。その「博愛」と同義語であり、ヨーロッパ近代主義の源流をなす政治思想である。
日本の戦後。由紀夫の祖父鳩山一郎は、リヒャルトの著書「人間対全体主義国家」の「人間は国家のために存在するのではない。国家が人間のために存在する」に感動。これこそ日本に必要な「友愛思想」と共鳴。「友愛青年同志会」を結成、友愛運動を推し進めた。
一郎は、この本を「自由と人生」と題して訳し「自由が過ぎれば、平等が失われ、平等が過ぎれば自由が失われる。この両立しがたい自由と平等のかけ橋が、友愛という精神的な絆である」と「友愛」について、明確にその思想を述べている。
鳩山由紀夫に付きまとうのは「夏に溶けるソフトクリーム」と揶揄される軟弱さだが、彼も62歳。
「友愛」は祖父から受け継ぐ、筋金入りの政治理念。いまさらぶれることはあるまい。(弟には受け継がれていないようだが)
少なくともこの国に、なぜ、政権交代が必要かと言えば「官僚は国家のために存在するのではない。国家が官僚のために存在する」そんな国家になり下がったこの国を改革するためである。
果たして鳩山由紀夫。権力の権化、官僚政治を、「人間は国家のために存在するのではない。国家が人間のために存在する」とする政治理念「友愛」で、打ち破ることができるか?
明治維新以降140年に及ぶ、官僚機構をぶち壊すことができるか?
この「鵺」のような恐ろしい権力に通用するのか?それとも、権力の藻屑と消え去るのか?
すべては、国民に掛かっているのだが・・・・・・・・。
今日の党首討論。鳩山由紀夫の思想「友愛」が、国民の理解を得られるかどうかが勝負である。
テレビ桟敷で、じっくり聞いてみたい。(友愛思想は、朝日新聞から引用した)
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