「百年一日が如く」の報道パターン・・・・・・・・。
自虐的なブログを書いても、意味のないことだが、130年の歴史を有する朝日新聞社が、09年3月の連結決算で初めての赤字決算を発表した。新聞経営の深刻さが現実化したと思っている。
記事では、広告収入の落ち込みが響き、139億円の赤字に転落した、とだけしか報じられていないが。購読部数の減少が、予想をはるかに超えているのではないかと、推察する。
新聞記者のスクープを取り扱った米国映画「消されたヘッドライン」を観た。ストーリーは、別として、全編に流れる新聞経営の厳しさ故に、新聞の社会正義が希薄になって行く状況が、切なく描かれている。
日本の新聞と米国では事情が違う。しかし、新聞のビジネスモデルが、通用しなくなっているのは同じ。天下の朝日新聞の赤字とダブり、高速輪転機から次々に印刷される新聞・・・そのラストシーンが虚しい。
世の中の進歩は、既存のモノを陳腐化させる。ネット社会が、情報革命を引き起こし、新聞という情報手段を過去に追いやっているのか?それとも、新聞記事という、情報そのものの有様が問われているのか?私には分らない。
しかし、これだけは言える。何処で線を引くのが良いのかは分らないが、情報の価値が、有料と無料に峻別されつつあるようだ。新聞情報に価値がないとは言わないが、価値があるなら、読者は離れない。ネット社会でも陳腐化はしないだろう。
大衆は「愚にして賢なり」。新聞をこよなく愛する田舎のおっさんとしては、大衆が求める情報と新聞社が「百年一日が如く」提供する情報パターンとが、随分、いつの間にか乖離したのではないか?
その乖離を、新聞関係者の誰が、気付くのか?そこが、問われているのではないだろうか。
朝日新聞社の赤字転落。新聞経営に明日はあるのか?
新聞広告の取り扱いを生業とする広告屋としては、何としても、新聞の価値を高めたいのだが。
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