官僚たちの冬

俺のやっていることは、絶対に国のため、国民のためになる
休みは、本ですよね。今年は天候不順。一瞬かもしれないが、「あの夏」を味わってます。
あの夏とは、空は抜けるように蒼く。太陽はじりじりと照りつける夏のことです。
こんな日は、窓を開けっ放し、汗の流れるまま、裸で、枝豆をつまみにビールを煽りながら、本を読む、それも小説が最高。とりあえず、新作では文藝春秋9月号に掲載の芥川賞受賞作「終の住処」を。
作者が、44歳で商社の現役。興味を持って読んでみた。文藝春秋には、選者の選評が同時に掲載されている。それを先に読むと先入観が入るので。読んでみての感想は、この作品を選ぶに当って、選者もずいぶん、苦労しただろうな?。
毎回、選評が厳しすぎると思う選者の一人、石原慎太郎氏が、「選者に未知の戦慄を与えてくれるような作品が現れないものか」と辛辣な評を述べているが、私的も、「この作品、それで、どうなの・・・」って感じ。
で、思い直して読んだのが、TBSドラマで話題の「官僚たちの夏」(城山三郎)。折りしも、官僚主導の政治が転換期を迎える総選挙を前にして、官僚とは。を、考えるには絶好の一冊だった。
戦後の復興期、勤勉な国民が目を輝かせて、工業国に邁進していった時代。先進欧米諸国からすれば、日本は「最も美味しい市場」だったに違いない。野放しにすれば、輸入品が国内を席巻し、新興の日本産業は、育たなかったかもしれない。
その日本企業を保護して育んだのが通産行政であった。日本が東洋の奇跡といわれ、高度成長を続ける昭和35年から45年の通産官僚たちの葛藤を描いた物語である。
小説では主人公が「おれのやっていることは絶対に国のため、国民のためになる」との強烈な自信を見せ付ける。感動的だが。果たして、今の官僚には、天下国家のためという志があるのだろうか?
仮に。その思想、その流れが、今日も色濃く残るならば「官僚は国益よりも省益」に走るなどとの批判を受けるだろうか?秀才官僚にありがちな打算、保身のテクニックだけが、彼らの全てになってしまったのではないだろうか。悲しいことだが。
なぜ、そうなったのか。それが、通産官僚の保護政策に起因した結果としての世界第二位の経済大国となった故の歪みだとしたら・・・・・。やはり、この総選挙を期に、官僚自身が、官僚とは何かを、問い直す時ではないかと思うのだが。
それを「官僚たちの夏」というのか?それとも「官僚たちの冬」というのか・・・・・・。   Goto

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