鵜飼1300年

平安京遷都とより前から、受け継がれる伝統漁だとは思えないのですが。
故郷岐阜市の中心を流れる長良川。市民にとっての母なる川。街の歴史は川と共にあります。
私は、旧岐阜市内、信長の居城が築かれた金華山の麓。岐阜公園の傍、金華校下で育ちました。
寅さん流にいえば。長良川で産湯を浸かり。長良川に遊び。長良川に慰められ。長良川に育てられたようなものです。その長良川の夏の風物詩は、1300年の歴史と伝統を持つと謳われる「鵜飼」です。今年も、5/11、半年間に及ぶロングランの幕があきました。(写真参照)
この地方の「鵜飼」といえば、長良川と相場は決まっているのですが。実は、そうではありません。近在には、長良川の上流、関市で行われる「小瀬鵜飼」(5/11・開幕)と愛知県犬山市の「木曽川うかい」(6/1開幕)があります。
その「木曽川うかい」に全国で6人目だそうですが。若い女性(23歳)が鵜匠見習いに犬山市長から任命されたそうです。(昨年の8月、間近で鵜飼始めてみて、公募に応じた)女性が鵜匠になるのをとやかくいう積りはありませんが。京都の舞妓や芸妓も、全国か若い女の子が集まる時代ですから・・・・。
余談ですが。長良川の鵜匠は、宮内庁の職員。杉山家・山下家が世襲で務めています。構成は6名。鵜匠姿は、風折り烏帽子に腰みの姿。独特の凛々しさがあります。運営費は岐阜市が負担します。関市は民間。犬山は市営です。
で、鵜飼にまつわる話です。
「木曽川のうかい」(女性鵜匠紹介記事)・・・・1300年の歴史を持つ。(写真参照)で記事は始まります。清流に古典絵巻「長良川の鵜飼」・・・1300年の歴史を持つ。(写真参照)これ、1300年の歴史が売りです。
私が物心ついた時。勿論、50年以上前です。岐阜をこよなく愛した親父殿。健在ならば93歳。彼の子供の頃。詰まり。昭和初期。やはり、鵜飼を表現する修飾語。いや、まくら言葉は1300年の歴史と伝統を持つ・・・・でありました。
親子二代。百年にはなりませんが。それに近いです。にも拘らず、鵜飼の歴史は、私が知る限り。1300年前が始まりです。市の鵜飼にまつわる資料にも。1300年です。細かいことをいう訳ではありませんが。始まりがわかっているなら。1400年前からに変えねば理屈が合わないと思うのですが。不思議です。
考えて見てください。昨年、奈良市で平城京遷都1300年祭が行われました。奈良時代の始まりです。その時代よりも前から長良川でも木曽川でも鵜飼が行われていたことになります。
と、考えると。長良川の鵜飼の本当の始まりは。いったい何時から始まったんでしょうか?
岐阜市民が誰も、そのことに疑問を抱かないとしたら。鵜飼が岐阜市の観光資源として存続する意義が問われるのではないでしょうか。
1300年前に、母なる長良川で、鵜飼が始まったと、信じたいのですが?Goto
 
5/16読売新聞           5/12岐阜新聞

コメント

  1. Goto より:

    かがり火と 見間違えたり ヘッドライト

    漆黒の闇を、街中を流れる川で演出する。観光鵜飼なら、それなりの覚悟が、市民に必要なんではないでしょうか。
    半年間のロングランで、僅か13万人。それが大本営発表の観光客です。Goto

  2. ナガラ より:

    千年一睡 長良は長良 鵜飼舟
    随書に拠れば約1,410年前、鵜飼七郷の地名で長良川が特定できる延喜式に拠れば約1,100年前、客観的史料ではそうなるようです。
    私は、鵜飼の開始前に鵜飼大橋の袂で、焚き火を囲みながら寛ぐ鵜匠や船頭たちの姿に、悠久の営みを覚えるのですが…。
    川霧や 鵜匠の焚火の 見え隠れ