「力」なんて、ありもしない。曖昧この上ない概念ではないか?
この齢になると、世の中の酸も甘いも嗅ぎ分けることができるモノ。大概のことには、驚かないし。納得もできなモノは納得しない。にもかかわらず。私の大好きな毎日新聞の夕刊に掲載される専門編集委員の牧太郎さんの「大きな声では言えないが・・・」(1/22付)には大いに納得。勉強になりました。
私の本棚。古いモノは、親父殿が暇になったら読んで見たいと。買い溜めたのでしょうか?講談社版「日本現代文学全集」110巻が鎮座していますが。最近の新書では、赤瀬川源平さんの「老人力」始め「断る力」、渡辺淳一さんの「鈍感力」姜尚中さんの「悩む力」などなど「○○力」がタイトルの本が何冊も並んでいます。
いずれも。読み飛ばしましたが。面白くもなければ。感動もしなかった。売らんがための駄作の限りでした。その「○○力」なんて。いい加減な本ではないのですが。では「力」って?なん何でしょうか?我々は「力」を触ったことも、見たこともない。「匂い」を感じたこともないのですが。
どこからどこまでが「力」で、どこからどこまでが「無力」なのかわからない。「力」とは曖昧この上ない概念ではないでしょうか。いつも「力不足で申し訳ない」と頭を下げる光景を見ていますと。あるようでないような「曖昧な力」に責任を押し付けているようで、「不純」を感じるのですが。あなたはどうですか。
枚太郎さんはこんな説明を・・・「寛容力。怒らないから選手は伸びる」(渡辺久信・西武ライオンズ監督著)大阪桜宮高校生体罰事件の直後に発売されました。グットタイミングのタイトルですが。寛容力の寛容って、なんだ。「寛容」とは他人と比べる「力」ではなく「隠れた美徳」ではないのでしょうか。それに「力」を付けて、何の意味があるのかと。
酸いも甘いも嗅ぎわけられるのは、馬齢を重ねた結果であって。「力業」ではない。
毎日新聞夕刊コラムで勉強させてもらいました。新聞って。素晴らしいですね。Goto
コメント
コメントありがとうございます。
流行語を摸倣する出版社の貧困が、活字離れの要因とも言えるのではないでしょうか。Goto
こんばんは。
仰る通りです。
僕も○○力には、まったく興味がありません。
もちろん、いい言葉もありますが。
衆議院予算委員会で石原さんが、最後に総理にご披露されたポーランドの詩人の言葉「たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える」。心に残りました。
人が歩んできた人生はいろいろ。この言葉で僕は、どんなにつらくても、厳しい人生でも、前を向け、逃げるな、ダメならもっと考えろ、知恵をだせ、働けと聴こえました。力とは、インスタントに本で身につくものじゃない。どう生きたかの結果だと解釈しました。