本島元長崎市長の逝去を悼む

暴力の無意味さ、言葉の重さを学ばせて頂きました。
長崎の元市長、本島等さんが亡くなられた。謹んでお悔やみ申し上げます。本島さんの逝去は本当に残念です。この国で、心から、いや、自らの命を賭けて平和を希求し、戦争に反対する真の政治家が、またひとり、この世を去ったからです。
先の大戦を自省することによって、この国が反戦平和を標榜する国で無ければならないと、如何なる思想や理由があろうとも、心のそこから訴え実践する政治家がひとり欠け、ふたり欠けする中、貴重な政治家がまた、ひとり喪ったわけです。昭和は遠くなり、歴史に学ばない時代になりつつあります。
なぜ、私がここまで、本島さんを惜しむのかと申しますと。もう、四半世紀になるでしょうか。長崎の親戚、その跡取りの結婚披露宴。主賓で挨拶された本島市長。天皇の戦争責任に言及したことで右翼の凶弾に倒れ、一命を取り留め社会復帰されて直後の祝辞を伺ったからです。
私もこの歳です。若い人達の結婚披露宴に招待頂き、祝辞を述べさせて頂く機会がありますが。私の挨拶など、披露宴が終る頃には、全員が忘れてしまいますが。本島市長(当時)の挨拶は今も、新郎新婦も、そして私の心にも染み込んでいます。
「私は暴力によって、激しい仕打ちを受けましたが。痛くも痒くもありません。銃弾は元より、刃物や鉄拳で相手を痛めつける暴力は絶対に許せないのですが。それ以上に、恐ろしい暴力は「言葉の暴力」です。
凶弾の暴力は、肉体を蝕みますが、言葉の暴力は心に刺さります」「銃弾の傷は治療によって癒すことができますが。心に刺さった言葉の暴力は、簡単に拭い去ることはできません」「結婚したあなた達には、様々な、時には暴力的な困難が降りかかることもあるでしょう」
「それらの困難は二人で力を合わせれば解決できるものです。しかし、お互いが、お互いを傷つけるような言葉の暴力を発した場合。それを拭い去ることはなかなかできません。願わくば、労わる。慰める。優しさに溢れる。そんな言葉が充満する家庭を築いて下さい」「間違っても、言葉の暴力だけは振るわないように」
・おぼろげですが。そんな温かくもリンと心に染みる祝辞を頂いたと記憶しています。平和のために命を賭けた本島元長崎市長のご逝去の報に接し「暴力の無意味さ」「言葉の重み」を学ばさせて頂いたことに心から感謝し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。Goto

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