君よ憤怒の河を渡れ

健さんは、青春時代の一条のそよ風だった。
俳優の高倉健さんが、そして、菅原文太さんも亡くなりました。心よりご冥福をお祈りいたします。こんな田舎町の映画館まで、「健さん」の映画が上映されるなど、メディアの煽りもあってか、惜しむ声が途絶えることなく巷に溢れています。
私も勿論、健さんの映画に魅了された一人です。連日メディアで報道される追悼のニュースや番組を見て、これだけ美化されると「高倉健」って一体何なんだろと、考えさせられます。私にとっての「健さん」は「止めてくれるなおっかさん背中の銀杏が泣いている」(70年安保当時の学生運動のポスターのコピー)と着流しで・・・
片袖抜いて、背中の銀杏の彫り物を見せ、抜き身を下げた、任侠映画の健さんです。義理と人情の板挟み。お世話になった方のため、未練を断ち切り、修羅場へ向う任侠の世界です。その後の文太さんの「仁義なき戦い」などのヤクザ映画シリーズとは違います。
修羅場では圧倒的な強さで、悪役ヤクザを斬り殺し、お縄を頂戴する。その非現実、「よぉ〜健さん」と叫んで拍手し、「健さん」になりきって、映画館を出る。肩で風切ろうと胸を張るが、木枯らしが首筋を抜けると、スーと現実に引き戻される。それまでの一瞬が、我らの健さん。
それが、遺作になった「あなたへ」に代表される「不器用で、耐えに耐える」健さんの晩年の作品に私は魅力を感じませんでした。ましてや、任侠映画に文化勲章は似合わないとも。でも、健さん逝去のニュースが、中国では大きく取り扱われ・・・・
日本批判の中国マスコミ。中国中央テレビまでもが25分間の追悼特番を組んだと聞くと、健さんのどんな映画が中国人の心を捉えて離さなかったのか。北京晩報の一面は、40代以上の中国人なら誰でも知っている「杜丘去る」の見出しをつけその死を惜しんだと。
杜丘とは中国で放映された日本映画「君よ憤怒の河を渡れ」(中国名・追捕)の主役「杜丘冬人」(健さん)のこと。中国が文化大革命から脱し、鄧小平の改革開放の時代を迎えた・・・中国の春の象徴がこの映画で、何億人という若者がこの映画と共に春を感じた(毎日新聞・木語から)
そうなんです。高倉健さんは「不器用じゃない」んです。中国暗黒の時代に、どこからか楚々と吹き込む春の風だったのです。私の高倉健像も決して、暗く、黙して語らぬ健さんではなく、青春の血を滾らすに滾らせないジレンマに吹いた一条のそよ風だったのです。さようなら。健さん。Goto

コメント

  1. 藤掛 より:

    今日のエントリー、「健さん」への思いのこもった名文ですね。