レッテル貼り

長期延長された国会に思う。
私ことで恐縮ですが。いや、ブログなんですから全てが私ことで当然です。別段、断りを入れる必要もないですね。それが断りを入れたいのは、こう思われたくないとか、誤解されたくないと予め予防線を張るからです。人間って、周りを意識して生きているんですね。(笑)
安保法制を巡っての議論が活発になってきた国会。会期が9月まで異例の延長、ますます激しい議論が予想されますと、書きたいのですが。何ともはや、重箱の隅を突くようなやりとりばかり。取分け、与野党でのレッテル貼りの応酬は見苦しいの限りです。
物事はすべからず、まず相手を認め、意見に耳を傾け、自分の主張や考え方が、正しいのかどうか精査しながら、もしも相手の議論に納得できれば、自分の意見を修正する。そんな度量ある議論をして欲しいものです。世の中、絶対とか、確実なんてことはないのですから。
解釈改憲での集団的自衛権を容認できるのか、できないのか。安保法制の議論はその一点に集約されました。にも拘らず、相手の人格を傷つけてでも、容認できないと言い張るために「レッテルを貼る」のは議論になりません。また、数の力で容認させるのも奢りです。
私は未だに故郷で「赤」のレッテルが貼られています。学生時代に学生運動に熱を上げたからです。あれから、50年近くなります。あの当時を思い起こして、間違っていたとは思いません。しかし、あの時代の考え方がベースにあるかも知れませんが、もはやレッテルは錆びついて、剥がし忘れた戦前のポスターのようです。
あなたはどこの生まれで、どんな学歴で、どんな人生を辿ってきたのか。それが、その人そのものだと、いちいちレッテルを貼って人格を決めつけることほど愚かなことはありません。男子三日会わずんば刮目して相対せよ」と申します。レッテル貼りして相手を決めつけて議論するほど情けないことはないと思います。
国会でレッテル貼りの応酬に、この国の行く末が案じられます。国会は折角長期延長したのです。もっと、謙虚に議論しては如何でしょうか。Goto

コメント

  1. Goto より:

    人にレッテルを貼ることは自己逃避なのです。自分に自信があって、如何なることにも正面から対峙する勇気を持てば、人にレッテルを貼る必要などありません。現実から目をそらして生きるから、他人を決めつけ、自分との違いを際立たせるのです。それが一番楽ですからね。それが自己逃避です。Goto

  2. 風来坊☆ より:

    レッテルをはり、その考えに同調する人を求める。
    これは日本人が悪いと言うより、日本人の性質ですね。
    今回の法案に関して、戦争法案と連呼するのではなく、本質を議論しない限り野党の存在感はないですね。むしろ戦争法案と連呼することで無知な日本人を迎合させるようにしか見えません。一人一人が学習し内容を理解すれば、質の高い議員が選ばれ、質の高い議論が期待できると思うのですが…。
    話はそれますが、一票の格差についてですが、都市部の人は投票率が低く、田舎の人は投票率が高い。結果、エリア別の投票率から見ると一票の格差は無くなります。
    弁護士グループが一票の格差と声高に言うのであれば、選挙に行かない非国民にもっと声を上げるべきです。その結果生じた格差を見たうえで告訴をいてもらいたいです。無関心こそ一番の問題なのでそこを何とか解決したいものです。