哲学カフェ

議論するということは内面を磨くことではないでしょうか。
飲み物片手に哲学を論じる「フィロカフェ」が結構流行っていると・・
フィロとはフィロソフィー(哲学)のこと・・自己紹介なしに一期一会で
「そのテーマなら」考えてみたい人たちが集って喫茶店で議論を楽しむ・・・
「哲学カフェ」・・・始まりは1992年、パリで生まれ、日本では99年に始まったと言われ・・
若手の哲学者達が団体「カフェフィロ」を組織・・・
全国各地、図書館や地域の集会所、美術館、お寺などで活発に開催しているそうな。
「カフェフィロ」は途中の出入りも、発言するしないも自由、
社会的立場から離れ、対等に語り合う。
人の話を最後まで聞く。自分とは違う考え方容認する。
白黒付けるのではなく、対話の過程を大切にする。
日常の前提が覆され、自分の立場を掘り返し、
違った視点で自分見つめることそんな主旨で開催されるとか。
民主的手法って言うんですか、議論の場としては理想的です。
やっぱり哲学ですね。
そう言えば・・・四半世紀以上も前なりますが・・
イスラエル、テルアビブの海岸沿いのレストラン(海鮮料理?)
丸いテーブルが50脚ぐらい並んでいたでしょうか。
超満員で・・・それぞれのテーブルに空き缶が置かれ、
それに・・・色鉛筆が無造作に立ててあり・・・
紙のテーブルクロスに、議論しながら・・食事も程々に何やら書きなぐっている。
「哲学カフェ」ならぬ「議論レストラン」の様相でした。
議論好きのユダヤ人ならではの光景を思い起こします。
最近、口角泡を飛ばして・・・議論する場面になかなか出会いません。
議論すれば、自分の意見、考え方を言わねばなりません。
そうしますと、相手の立場と違う場合、摩擦が生じます。
そのことを慮って、臆病になり、議論しない・・そんな意思が働くからなのでしょうか。
議論するということは言葉を磨くことです。
言葉を磨くとは言葉を語る人の内面を磨くことです。
パリは個人主義のメッカ。哲学カフェがパリから始まった理由がわかる気がします。
どうぞ、臆することなく、議論の場に・・・
そして、内面を磨き・・・潤いのある人生を。Goto

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