認知的不協和

人間の内に潜む、この恐ろしき狂気に、憤りを禁じ得ない。
「虐待のない社会を」……「189番」認知運動。全国31都道府県で発行する
ハッピーメディア「地域みっちゃく生活情報誌」「ままここっと」の社会課題への
取り組みです。子どもは「国の宝」です。子どもが健全に育つ国にこそ未来があります。
川崎市のバス停でスクールバスを待つ小学生を次々と包丁で殺傷する事件が発生しました。
通学時、学校は最善の注意を払い、親たちは交代でバス停まで送迎し、
近所の人たちは、子どもの安全に心を砕き……それでも起こったこの蛮行……
全ての国民は激しい憤りに震え、いたたまれない気持ちです。
死傷者のでた事件です。烱々な発言は控えねばなりませんが……
警察は容疑者死亡のまま殺人事件として取り扱います。
メディアも、犯人にまつわる情報を収集して、動機を探すでしょう。しかし……
「死人に口無し」残念ながら、ことの真相は藪の中、知ることはできないでしょう。
この憤りをどこに……学校では更なる厳重な体制を敷くことになるでしょう。
被害にあった子どもたちへの手厚いケアがされるでしょう。(それでも傷は癒えないが)
衝撃を受けた全国の子どもたちへも、教育の現場、家族、自治体を上げてフォロー
するなど、議論され、二度とこのような傷ましい事件が起こらないよう対策が……
でも、犯人像をいくら検証しても、なぜ、残忍な行為に及んだかはわからない。
結局は、人間とはなんぞやと深層、心理に迫る以外に解明することはできない。
これは科学の分野なのか。それとも哲学の分野なのかはわからないが。
スタンフォード大学の社会心理学者、レオン・フェスティンガー教授の
「認知的不協和の論理」という人間の行動についての論文がある。
人はみな様々な信念、概念、思想を持っている。これを「認知」という。
我々の持つ複数の「認知」に相互関係は持たない。しかし「認知」に矛盾、
不協和が生じると、整合させないと脳が耐えられない。
そのために脳を平衡状態に戻す作用が働き、矛盾した認知や行動を変えることになる。
大概、人は、行動を変えるよりも考え方を変えて不協和ストレスを解消し、
正当化するのだが、中には行動を変えず考え方を変え、認知の一致を図る場合がある。
認知的不協和の論理でこの犯人の蛮行を推し量ると、
行動を変えず考え方を変えたことによって引き起こされた事件だと思う。
人は誰もが認知不協和に直面する。極解だが、この事件の深層には人間に潜む、狂った
認知不協和解消が不条理に働いた結果ではないか。このような事件を
二度と起こらないようにするのは、難しい。
日本人は古来より、弱者を労わるという認知があるはずだ。
弱者を殺める行為が正当化されるとは……日本人全体の再教育が必要ではないか。
情けない話である。せめても「児童虐待のない社会」は我々の手で。Goto

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