雑誌anan創刊50周年に思う
出版界、本離れなのか不況風が吹き始めて久しい。
コロナ禍で、アマゾンで本の売り切れや遅配が続出したと聞く。
ステイ・ホームは「読書回帰」が起こったのではと、業界を沸かせたが。
新聞人に「なぜ新聞の購読者が減少するのか」と問うと、
大概が「活字離れが」と答える。そんなはずはない。
有史以来、国民がこれほど、メールだが文章のやり取りをする時代はない。
そう思いませんか。
メールは文章でも活字でもないなどと言ってはいけない。
立派な通信手段なのですから。メールの中身を問うのはおかしい。
そもそもが文字は相手にその意思が伝わればそれで良いのであって、
稚拙なやり取りとか、絵文字が活字か?などと、問う必要などない。
それこそが、エセインテリのたわごとである。
国民は活字離れなどしてはいない。むしろ活字に飢えているといえるだろう。
メールは立派な「文字文化」の創造である。とはいうものの、
最近、新刊や文庫本に続いて雑誌も売れなくなったと嘆く声が出版界で。
果たしてそうでしょうか。本当に売れなくなったのでしょうか。
確かにネットを叩けばどんな情報でも瞬時に得ることができます。
ですから、雑誌を購入する必要もないってことでしょうが。
でも、やはりです。中身が濃いと申しますか、時代のトレンドを先取りするような
雑誌は売れています。宝島社の女性雑誌は好調だといわれています。
アマゾンで風雪に耐えて生き抜いた本が売り切れになったのもそうです。
中身などというと、説教臭いのですが・・・
平凡社(現マガジンハウス)の雑誌「anan」が創刊50周年を迎えました。
なぜ、半世紀に渡って生き延びてきたのでしょうか。
1970年創刊。万博の年です。フランスのファッション誌「エル」の日本版として誕生。
海外に憧れる女性の心を鷲掴みに。続いて女性の国内旅行に照準をあて、
男性仕様の観光施設に風穴を開けました。80年代に入り「個性」を取り上げ、
自立する女性を演出。知のヒエラルキー解体にメスを入れ。女性の自由拡大に
男女雇用機会均等法の施行を先駆け。大胆に「セックスで綺麗になる」と
女性の性解放に一石を投じました。
2000年代には「負け犬」女子や「草食」男子を話題にし「失われた20年」に対し
脱力系の生き方やスローライフを意識せよと訴え、東日本大震災以降は人の繋がりや
相性を考える特集を組み。最近では「生活の楽しみ系」路線を推奨したり、
揺らぐ幸福の形に、信頼できる人とのトキメキを求める女性に寄り添う企画を。
そうなんです。ananの50年は預言者として女性の「ライフスタイル」を提案、
先取りしてきたのです。雑誌のあるべき姿を「中身の充実」においてきたのだと思います。
我が社はフリーマガジンを日本全国920万部発行しています。地域密着型です。
ananなどの有料雑誌とは違いますが、地域みっちゃく生活情報誌は
「地域文化を創造」できればと思っています。Goto
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