民俗学者・柳田國男に「こたつ」についてを学ぶ
自宅の小さな部屋。一応書斎です。三畳ほど。本が山積みになり足の踏み場もない。年に一度は整理するのだが、備え付けの机の上も酷いものである。でも私はこの部屋が大好きで落ち着く。
ですから、朝、ガバッと目を覚ますと、この部屋に入る。
先月末までは・・・小さな回転式の扇風機が足元で風を送ってくれたが、
先週からセラミック製の小さな温風ヒーターに取り替えた。
実に便利。スイッチを入れるだけですぐに暖かくなる。
11月の下旬となり、木枯らしの季節に、急に冷えてきた。
私は暑いのは得意だが、寒いのは苦手。ですからこのヒーターを重宝する。
日経の夕刊。どれほどの方が目を通しておられるか・・随分と少ないのではと
案じているが・・毎週月曜に「なるほど!ルーツ探検隊」なるコーナーがある。
実に丹念に取材した特集記事が毎週掲載される。紙面を開けば、悲惨なニュースが並ぶのが新聞、一服の清涼剤のようで実に楽しい。
そこに・・温暖化もあってこの地方でも減り気味の日本の冬を代表する
暖房器具の一つ「こたつ」について、その起源と今の形になった時代背景が
丁寧に綴られている。足元のヒーターが温風を送ってくれるのに感謝していたら、その特集が目にとまったので、ブログの話題にしてみたい。
余談だが、小部屋の窓側に乱雑に並んでいる本。その一冊に民俗学者・柳田國男の「毎日の言葉」がある。柳田國男は官吏としてはかなり高い地位を得ていたが民俗学は在野の学問であり、戦前は大学に講座があるような代物ではなかった。民俗学者として大学の教授になったのは1950年、75歳の時である。
最近75歳という年齢が出てくると、妙に感慨深い。
柳田は「雪中随筆」で「こたつ」をこう述べている「炬燵(こたつ)時代はそう古くはない昔の新しい文化である」その原型は「囲炉裏から釜を下ろし、燃え止しは土間で消し、おき火は灰に埋め、その上を大きな布団で覆って一同が眠った」火の始末をし、その余熱で家族が温まる・・この時、囲炉裏の上には、すのこに短い脚をつけた台を置き、上から布団をかけたとの説もあると。
柳田らしい解説・・・
危険な熱源から距離を取り、布などをかけて保温性を高めるこの「やぐら」
その形が牛車の乗り降りなどに使う踏み台「塌」(しじ・とう)に似ているところから室町時代、炬燵の祖型は「火塌(かとう)」などと呼ばれていたようだ。
柳田は、その後、長い歳月を経て庶民レベルの木炭の広がりと、炭火を運ぶ十能などの金属製の器具の改良が進み、家屋の中で火を扱う危険度が下がり、江戸期以降、囲炉裏に炭火を使ったことが広がった、それを「火の分裂」と表現した。
分けた火の恩恵を形にした炬燵類は、雪国の金沢市にある「金沢くらしの博物館」
に・・・江戸時代から昭和まで使われた様々な炬燵が陳列されているそうな。
一度尋ねてみたい。戦後はナショナルが「電気コタツ」を開発、売れに売れたそうである。東芝がやぐらの天井にニクロム線の熱源を施した製品を発表・通算で年間で800万台売れたそうだ。
最近はエアコンの普及で炬燵の需要は激減したが、
柳田随筆で「炬燵は・・・我が国民文明の一つの凱旋門であった」
日本は木造建築家屋です。火を扱うその進化が「炬燵」にあり・・
とはさすが、柳田翁である。
それにしても、私の小部屋、足元にある温風ヒーター、実に機能的である。
本に埋まった小部屋生活が楽しめる・・・Goto
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