自己中心主義極まれり・・・

老人の本分・教師の本分・・・忘れてはならない。

日頃、思っていることを明確に言ってくれる人がいると、嬉しいものです。
その人は私が尊敬する(勝手にです)魂の編集長と言われる日本講演新聞の
水谷もりひとさんの講演で知った人です。

その人は、日本菌学研究所の社長です。
水谷さんはこの社長が上梓した「耆に学ぶ」にこんなことを言っておられると。
「幸福な人生を送りたいというのはエゴイズムに直結した考え方です」

「昔(多分明治以前)の人はそれを恥ずかしいこととわかっていたので、
公にせず、腹の中で留めていました。昔の人が恥ずかしくてやらなかったことを
今は堂々とやっている。特に目に余るのが老人です。自分の健康と長寿ばかり
気にしている。そして公言して憚らない。今の年寄りは本当に始末が悪い」と・・・水谷さんはかなり過激だと言いますが、私も全く同感です。

本ではさらにこう続きます。「80歳・90歳にもなって自分の幸福を求めるなんて本当に嘆かわしい限りです。若者の未来の幸福を願うのが本来の老人というものです」・・・私は同世代の集まりには顔をだしません。20年ぐらい前になるでしょうか。50代のころ、リタイアされた先輩が「俺は健康と昔話と孫の話は一切しない」なぜなら、建設的ではないからだ・・と言われ、この一節から思い出します。

私はこの12月で、後期高齢者になります。結構な老人です。
今後の人生は子どもの未来にためになることを真剣にすべきだと思っています。
この本は「人生の目的は燃え尽きることにある。その人の命がボロボロになるまで燃え尽きたかどうか。私にとっての成功哲学それだけです」とも言う。
これも納得です。燃え尽きるとは・・人のために尽くすことです。

水谷さんの講演で、「老人の幸せは若い人たちのために燃え尽きること」の他にこんなことも語っています。これも大いに納得です。
小学校のPTA会長をしたことがある。
PTAの会長は入学式や卒業式で祝辞を述べねばなりません。

「皆さんは今日から一年生です。明日から勉強が始まります。勉強って面白いと思いますか?面白いと思う人?」と問います。すると全員が元気いっぱい「は〜い」と言って手を挙げました。その時、新入生の後ろに新6年生が座っていました。ついでに6年生にも聞いてみました。「6年生のみなさん、5年間、勉強してきたと思います。勉強って面白かったですか?面白かった人?」と。

120人ほどいた6年生で手を挙げたのは3人だけ。5年間の間に何が起こったのでしょうか。学校の先生は2度とない人生において「教師」を選びました。
基本的には勉強が好きだったから教師になったハズ。勉強することの面白さを知っているから教師になった人たちばかりです。

水谷さんはさらに続けます。
中学になると国語が好きでない。数学が嫌いという子もいるでしょう。
でも国語の先生は国語の面白さを、数学の先生は数学の面白さを知っている。
ということはその先生が知っている「面白さ」が生徒に伝わっていないことになるんじゃないでしょうか。教科書の内容を教えることには努力されているでしょう。しかし、「この面白さがどうやったら伝わるか」と深く考え、悩み苦しみ、
工夫を凝らす先生であって欲しいと僕は願います・・という。

今日のブログは・・・私の日頃、考え思っていることを
あまりにも見事に表現してくれる日本講演新聞の魂の編集長・水谷もりひとさんの講演内容をお借りしました。この国がどこかおかしいと思う。
この国のどこがおかしいのかを・・・ひとつは自己中心的にしか物事を考えられない老人と。
もう一つは、労働時間の短縮ばかりで教育の本分を忘れてしまっている教師によって学校教育が行われていることが、この国がおかしくなっている根本原因であることを改めて学んだことを書き記してみました。

私は・・・後期高齢者ですが。若者の幸福を願う本来の老人になりたい。Goto

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