セレンディピティ

新聞を読もう。
民主主義を守るために

私は新聞の回し者ではない。だが声を大にして言いたい。新聞を読もう。
なぜなら、新聞は民主主義国家の存続に不可欠な「社会の羅針盤」だからだ。

日本が高度経済成長を遂げた時代、新聞は朝夕二回発行されていた。
人々は朝刊で昨日を学び、夕刊で今日を知る。
ニュースが家庭の食卓にあり、家族がそれを話題に語り合った。
その積み重ねが、国民の知を磨き、国の進路を照らした。
新聞は単なる情報紙ではなく、「国民の知性」を支える装置であったのだ。

しかし今、新聞購読率は6割を切った。
スマホのニュースで十分だと言う人も多い。だが私は思う。
新聞離れと日本経済の停滞には、深い相関があるのではないかと。
新聞を読まないとは、社会を俯瞰せず、感情的な断片情報に流されることだ。
判断力を失えば、民主主義はやがて形骸化する。

先日、埼玉県戸田市で興味深い実験が行われた。
中学1年生99人に、4月から7月まで毎日、朝日、読売、毎日、産経、東京、埼玉新聞を配布し、週2回、10分間新聞を読むというものだ。
その結果、「新聞は面白い」「信頼できる」という声が増えたという。
最初は「新聞は古い」「ネットで十分」と言っていた生徒が、読むほどに世界の広さに気づいていった。まさに“食わず嫌い”の克服だ。

この調査に協力した戸田市の教育長は、「SNSの情報は偏食的だ。新聞には一覧性と偶然の発見がある」と語った。
まったくその通りだ。
スマホは「好きな情報」しか届けないが、新聞は「知るべき情報」を届ける。
教育長の凛とした姿勢に、私は真の教育者の矜持を見た。
こんな教育者が全国に増えてほしい。

文科省が教科書をデジタル化するのも時代の流れだろう。
しかし、情報の信頼性を見抜く力こそ、民主主義の礎である。
18歳で選挙権を持つ若者に、何をどう学ばせるか。
今こそ、新聞を教材に「公正」「多角」「熟考」を教える時だ。

家庭から新聞が消えた今、中学生が新聞に触れ、「公平で信頼できる」と感じたことは希望だ。
この希望の芽を、日本全体に広げたい。
新聞は古びたメディアではない。社会を照らす灯台である。
新聞を読むこと、それは未来を考えることだ。

だから私は言う。
新聞を読もう。民主主義を守るために。
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