――君が代が聞こえた夜に王国を破る。
14日夜、久々に外食の予定もなく、のんびり新聞をめくっていたら――目に飛び込んだ。「日本代表、今夜ブラジルと対戦」。え?あのサッカー王国ブラジル?W杯5回優勝の王者と?サッカー観戦にあまり熱を上げたことのない私だが、さすがにこればかりは見逃せない。
とはいえ、私はサッカーが苦手だ。理由は単純、「オフサイド」だ。
あの“曖昧な線引き”。せっかくゴールを決めても、旗一本で取り消し。
ゴルフのOBなら素直に納得できるが、サッカーの笛にはどうも腑に落ちぬ。
それはそれとして、相手はブラジル観戦せねば。前半2点を取られた時点で、こりゃダメだと書斎へ退散。“やっぱりサッカーはストレスの種だ”などと独りごちながら、新聞の社説欄に目を通す・・・
そこに飛び込んできたのが――沖縄・石垣市議会の話題。
「子どもたちが君が代を歌えるか調査を」との議決に、朝日新聞が社説で噛みついていた。曰く「無記名でも踏み絵を踏ませるような調査はやめろ」と。
なるほど。だが私は思う。
サッカーの国際試合で、両国の国家斉唱を聞くたび、胸が熱くなる。
国を代表し、誇りを懸けて闘う選手たちの姿。
大相撲でも、千秋楽の優勝力士を称え、会場全体で君が代を歌う。
それは誰かを抑圧するためではない。
“この国に生まれたことへの感謝”を、静かに共有する瞬間だ。
朝日はそもそも天皇制を否定している。そのことを隠して・・
君が代にクレーム・・・今回は常套句「過去の戦争の記憶」を理由に、君が代を忌避する論理を展開する。
だが、過去に縛られたままでは未来へは進めない。
多様性とは、歌う自由も歌わない自由も認め合うこと。
「歌うな」と決めつけるのは、多様性の否定ではないか。
――と、朝日の論説に小言をつぶやいていたその時、
ドアを叩く音。「日本が逆転した!」と。
まさかの大逆転。2点ビハインドを跳ね返し、ブラジルを撃破したという。
テレビは歓喜の嵐、「ニッポン!ニッポン!」の大合唱。
思わず私も日本勝利に見入る。立ち上がり、胸が熱くなる。
若者たちは過去を語らず、今この瞬間に燃えていた。
そうだ、君が代以外に日本人を奮い立たせる歌があるだろうか。
国とは、国民とは――それは理屈ではなく、こうして胸を熱くする瞬間にこそ、あるのだと思う。Goto
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