歯止めなき減税

国家財政の崩壊はここから始まる

宮澤洋一氏は減税派から「ラスボス」と呼ばれた。財政規律を重んじ、財源なき減税には一歩も引かなかった。大蔵官僚時代からの信念は揺るがず、自民党税調の最後の良心と言ってよかった。

その宮澤氏が事実上更迭された。後任は小野寺五典氏。高市首相に近い委員が並び、布陣は完全に“減税シフト”である。

これは単なる人事ではない。政治がポピュリズムに呑まれ、“国民に不人気な負担論から逃げる政治”が制度として定着したことを示す。

象徴的なのがガソリン減税だ。年内で廃止するというが、廃止に伴う1.5兆円の税収減の穴埋めをどうするかは先送り。無責任と言わねばなるまい。

老朽化が進む道路や橋梁など、維持費が莫大にかかるインフラの財源についても議論は深まらない。これで「責任政党」などと言えるのか。

減税派は勢いづく。「経済が成長すれば解決する」「財務省の言いなりになるな」「この程度の減税なら何とか工面できる」。そう言う。

だが、この発想こそ危険なのだ。歯止めが失われた減税競争は、いずれ財政破綻への緩慢な道となる。

自民党税調会長を務めた野田毅氏が言った言葉を、今こそ刻むべきだ。**「税制を議論する上で、財源論はイロハのイ」**である。

責任政党を自任してきた自民党が、その“イ”すら語らなくなった。これこそ最大の危機である。

私は古い人間なのかもしれないが、国家とはまずインフラを整え、国民が安心して暮らせる環境をつくるものだ。その根底を支えるのは、真面目に働き、黙々と税を納める国民である。政治はその負託に応えねばならない。

しかし今の政治はどうか。減税は甘い飴玉のように国民へばらまかれる。一方で、膨張する予算、先送りされる財源。国会議員は誰も“痛み”の語を口にしない。

気がつけば、減税は目的ではなく、政権延命の手段となった。本来は国家百年の計を練る場である与党税制調査会すら、ポピュリズムに巻き込まれている。

小野寺新会長は「新しい税調」と見栄を切るが、この流れを制御できるのか。私は期待したい。だが、歯止めなき減税論の空気は強い。すべての政党が“減税”という言葉に吸い寄せられ、短期的な人気取りに走っている。

未来の世代にツケを回してまで、我々は今のぬるま湯に浸かり続けてよいのか。

国民のほうが政治家よりお金にシビアだ。将来の危うさを、意外なほど多くの人が感じているのではないか。“減税すればいい国”など存在しない。

国家とは、負担の痛みを伴いながら、それでも未来へ橋をかけていく共同体である。この国の財政が壊れる時は、きっと今のように静かに始まる。私はその兆しを、確かに感じているのだが。Goto

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