折角の人生、主体的に生きたいものだ。
最近、若い仲間たち――経営者を目指す者、組織の中核を担おうとする者、より良く生きたいと願う者たちに強く伝えたいことがある。
人の上に立つ気概を持つなら、社会の中軸を担う覚悟があるなら、自ら考え、判断し、行動する“主体としての自由”を掴んでほしい。
この主体的な自由を支えるのが「リベラルアーツ」である。
古代ギリシャ・ローマで、国家と社会を良くするリーダーの基礎として位置づけられた、あの学問の土台だ。
日本語に言い換えれば、文学、歴史、詩歌、宗教、哲学など、「人間とは何か」を知るための学びのことだ。なぜそんな面倒なことが必要かと言えば、経営も人生も、人間を理解せずしては動かぬからである。
何事もそうだが、ひとつの窓しか持たない人は、判断が単線になり、視野が狭くなる。しかし、多くの窓を持つ人は、歴史の因果を読み、人の心の揺れを感じ、社会の構造を立体的に理解できる。これこそが、リーダーの背骨となる「総合知」である。
人間は合理だけでは動かない。自尊心があり、誇りがあり、弱さもある。まったく同じ人間など一人としていない。この複雑怪奇な存在を理解しようと努める姿勢こそ、リベラルアーツの本質である。
経営とは「正解のない問題」ばかりだ。
組織を率いることも同じである。
だからこそ、歴史から学ぶ
人間を理解する
社会の成り立ちを俯瞰する
この三つを身につけた者だけが、経営者としてリーダーとして成熟していく。
人間を理解するとは、自分を知ることでもある。
そのためには、宗教や哲学と真摯に向き合わねばならない。
社会を理解するとは、多面的な知の力を身につけることだ。
繰り返すが、
世界を読み解く力、
人間を理解する力、
社会へ働きかける力。
この三つを磨かねば、リーダーとしては未熟である。
今の社会は複雑だ。
国際情勢は混迷を極め、国内は少子高齢化が異常な速度で進む。
価値観は揺らぎ、拝金主義が蔓延する。だからこそ、リベラルアーツを深めねばならない。流されず、生き急がず、静かな確信をもって歩くために。
私は願う。
若い仲間たちが、人間を深く理解できる経営者に、
社会に働きかけるリーダーに、そして自らを律しながら歩む“教養ある人間”になってほしい。
その歩みは必ず、組織を強くし、地域を豊かにし、自分自身の人生を輝かせるだろう。いや、説教臭い。お前はどうかと問われれば、リベラルアーツを磨くべき修養中の未熟者。若い仲間たちに申しながら、自らに言い聞かせております。と答えるしかない。Goto


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