朝寝坊は容認されるか。

医学の分野に睡眠学って変な研究がある。

昨夜来・猛烈な雨が降っています。梅雨の末期かな。
「死んだら、ずっと寝ていられる。せっかくの人生、寝ているのはもったいない。」
これが私の結論である。

私は「早起きは三文の徳」という日本人の文化が大好きだ。早起きは単に時間を得するという意味ではない。一日の始まりを自らの意思で切り開き、自分を律する生き方そのものを表している。

近頃、「朝起きられないのは個人の概日リズム(サーカディアンリズム)の違いだから仕方がない」「学校の始業時間を遅らせるべきだ」「会社の出勤時間も自由にすべきだ」という睡眠学の議論を目にする。

確かに人間には体内時計があり、個人差があることは医学的事実であろう。睡眠が健康に大切なことも否定しない。しかし、そこから「朝寝坊は容認されるべき」という結論へ飛ぶことには、私は大きな違和感を覚える。

医師法第一条は、医師が医療と保健指導を通じて国民の健康を守ることを使命としている。病気を予防し、健康づくりに努めることは大切だ。しかし、それは生活習慣の改善を助言することであり、日本人が長く培ってきた生活文化や勤勉の精神まで変えようとすることではない。

私は、早起きは才能ではなく習慣だと思っている。

夜更かしをすれば朝起きられないのは当然である。原因の多くは、夜遅くまで照明をつけ、スマートフォンやテレビに時間を費やし、自ら生活リズムを乱していることにある。人間は昼に働き、夜に休むよう自然界の中で生きてきた。体内時計を理由にする前に、自らの生活を見直すことが先ではないか。

もちろん、病気や夜勤など特別な事情がある人は別である。しかし、それを一般論として「朝寝坊も個性」と考える風潮には賛成できない。

人間は楽な方へ流れる生き物である。一度「朝寝坊でもよい」という価値観が広がれば、自分を律する力は弱まり、努力よりも言い訳が先に立つようになる。それは自由ではなく、怠惰を助長する危険性をはらんでいる。

教育とは、子どもたちに知識だけではなく、自らを律する力を育てることである。社会もまた、時間を守り、約束を守り、朝を大切にする人々によって支えられている。

早起きは古い精神論ではない。人生を主体的に生きる第一歩である。
一日は朝に始まる。朝を制する者は一日を制し、一日を制する者は人生を豊かにする。
私はそう信じている。Goto

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