文科省、マスメディアは教師不足の責任を噛み締めろ。
文部科学省が、小中高校などの教員を目指す学生について、在学中に借りた国の奨学金の返済を免除する仕組みを検討するという。教員不足が深刻だからである。公立学校の教員採用試験では、二〇二五年度の受験者数は前年度より約七千五百人減の約十万九千人。倍率も二・八倍と過去最低水準になった。文科省調査でも、公立学校で三千八百人を超す教師が不足しているという。
対策は必要である。奨学金返済の負担を軽くすることも、教師を志す若者の背中を押す一助にはなろう。しかし、私はこれだけでは根本的な解決にならないと思う。なぜ、これほどまでに教職が敬遠されるようになったのか。その原因を正面から見つめなければならない。
教師の仕事が重いことは事実である。授業だけではない。生活指導、保護者対応、部活動、事務仕事、地域との関わり。子ども一人ひとりの人生に向き合う、責任の重い仕事である。だからこそ、勤務の無駄を減らし、教師が子どもと向き合う時間を守る改革は急がねばならない。
だが、長時間労働の問題だけをことさらに語り、「先生になれば大変だ」「割に合わない職業だ」と社会全体で言い続けてきた面はないか。メディアも、不祥事や苦労ばかりを大きく伝え、教師という職業の尊さ、喜び、社会的使命を十分に伝えてきただろうか。
教育は国家百年の計である。子どもたちは、家庭と地域、そして教師によって育つ。教師は知識を教えるだけの人ではない。人としての生き方、努力する意味、他者を思いやる心を、日々の姿で伝える教育者である。森信三先生が説かれたように、教育とは人格が人格に働きかける営みである。その担い手を、国はもっと大切にしなければならない。
文科省の責任は重い。現場を細かな規則で縛るばかりでなく、教師の誇りと裁量を守り、社会に向けて「教師は国の土台をつくる尊い仕事だ」と語り続けるべきである。教育委員会もまた、現場を萎縮させるのではなく、良き教師を信じ、支える存在であってほしい。
奨学金を免除する。それも一策である。しかし、それだけでは志は育たない。若者が「自分が子どもたちを育て、この地域と日本の未来をつくる」と胸を張って教師を志せる国にすること。それこそが政治、行政、そしてメディアに課せられた使命である。Goto


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