また、また、また政権を放り出さないで下さいね・・・・・。
気になるので、ブログに書こうと先週から、考えていたが。
あまり、先延ばしすると、後付になっちゃうかも。と、思えてきたので。
日本語は、時として便利で、TPOに合わせ、自分を様々な言い方で使い分けることができる。
しかし、その使い分けが、自信の無さや権力保持に使い分けるとなると、見苦しい。
誰のことかと言うと。麻生首相である。先日の党首討論でも明らかだが。
彼は自分の意見を述べるとき「私は」と「私自身は」とを使い分ける。
「解散の時期はいつですか」との質問に、「私自身で決めさせてもらいます」と。
それって「私が決めます」で、良いと思うのだが。なぜか、「私自身」と言う。
私の解釈ですが。多分、口癖なんでしょう。なぜ、口癖になったかと言うと、自分を一人称で捉えた事がないからだと思う。自分で責任を取らなくてもよい立場で、人生を歩んできてしまったからそうなる。
それに、党首討論では、主義・主張や政策を語らなければならない。自分の考えを言わねばならない。権力者として虚勢を張らなければならない。でも、考えはない。つまり、権力は保持したいが。自信がない。
そんな場合は、「私は」も「私自身は」も怖くて使えない。となると、
「われわれは」を連発して、主体をあいまいにする。三人称に主語をすりかえる。
それも自信のなさの現われで、本能的に安全な場所に身を置こうとする。(日本語の面白いところだが)
大概の人間は、小学校の低学年で、自我が目覚めるものだが・・・・。
一国の首相に向かって、余りにも失礼な言い方で気が引けるが。この人には、自我と言うものがないのではと、疑いたくなる。自我がないということは、「自分が」ないことである。
社会のうわべだけを歩いてきて、首相にまで上り詰めることができたのだから、幸運な人だとはいえるのだが。とても、与党のリーダーとして、一国の宰相の器だとは思えない。
ましてや、この難局に立ち向かい、国のかたちを訴えることができるとは到底思えない。
サミットで「いい格好」して、「ハイ辞めます」って、退陣と言うことになる気がして仕方がない。
そう言えば前首相も。一年前にお父さんの夢??だったサミットを開催。
それを実現したら、理由もなく、サッサと政権を投げ出したっけね。
それも、自我が目覚めていない前首相のせいだと思ったんですが・・・・。
一体、そんな自我すらない首相を誰が選んでいるのでしょうね。不思議な国です。
Goto
コメント