警鐘

ネット社会の与える社会的影響について・・・・・。
最高裁はネット上の表現にも新聞の報道等と同水準の「確実な根拠」を求め、ネット上の中傷は名誉棄損にあたるとの判決を下しました。私は、この判決に時代の大きな変化を感じています。
広告の業界は、長年にわたり四大媒体と言って、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌がメディアの中核と位置付けられてきました。勿論、ラジオの媒体価値はその凋落が著しく、存続の危機にありますが・・・。
雑誌も軒並みに発行部数を減らし、漫画を除いて、危機的な状態にあります。新聞も、この二,三年、読者層が変わったのか?広告効果が疑問視されています。(私はそうは思っていませんが・・・)
ここに来て、テレビも従来のビジネスモデルでは収益が生み出せなくなり、番組の質が問われています。それぞれ、衰退の理由には事情が異なりますが、ネットの普及が、地殻変動のように、日本の媒体の在り方を変え始めています。
昨今の社会は情報によって動いています。その情報を扱うモノを媒体と言います。
インターネットやモバイルは通信機能であって、媒体ではないと、メディア企業の中枢は考えたいのでしょうが。その影響力は、ネットの広告売り上げが新聞を抜いてテレビに迫っている事実をもってしても、大きな媒体になった証拠です。
その影響力に警鐘を鳴らしたのが、このほどのネット上での誹謗中傷は犯罪であるとの判決です。私は、司法の文明に対応する反応がいつも遅すぎると不満ですが、この最高裁の判決には、大いに納得です。
ネット(IT)は、少なくとも私達の想像を超えた情報社会を形成し始めました。
既存の媒体とは全く違った次元の媒体として・・・・・。
媒体としてのネットのみならず、社会的変化に最高裁が鳴らした警鐘を、どのように受け止めるべきなのか?ネット社会を受け入れた私達が問われていると思います。                 Goto

コメント

  1. Goto より:

    鋭い洞察力に改めて敬意を表します。研ぎ澄まされた感性が、時代を見抜くのですね。ネット社会は時代を変えました。その変化に気付かない人。気付いても指を銜えてみてる人。注意深く見守り虎視眈々と次の一手を準備している人。そして、一歩先を行く人など様々な人がいますが・・・。
    想像力と創造力を身に付けないと、生き残れない時代になったのは、間違いなさそうです。
    コメントありがとうございます。イノベーションの本質を学びました。      Goto

  2. ナガラ より:

    私がインターネットの洗礼を受けたのは、阪神大震災の4、5年くらい前だったでしょうか。
    その頃私は、Macintosh(マック)を使いデータのやり取りをしていた関係上、パソコン通信を利用していました。
    ある時、アメリカペンタゴンが軍の通信に利用している面白い技術があるとデザインオペレーターから聞いたのが、インターネットを知った最初でした。
    その出会いで、凄い画期的なメディアになるだろうという予感はありましたが、結果がこれほどとは残念ながら予測できませんでした。
    しかも、まだまだ、インターネットの世界は日々進化しつつあります。
    その成長の流れの中で私自身が感じたのは、人のモチベーションがコンピュータを進化させるということです。
    つまり、何に変わるのかという受動的な考えでなく、何を変え何を実現したいのかという能動的な意識によって、顧客の欲求は変化していきます。
    個人的なことですが、その当時私の働いていた会社の職種は、現在、ほぼ存在しません。
    人の欲求とコンピュータの進化が、職種さえも飲み込んでしまったのです。
    既製の新聞メディアも同じ。
    新聞の持つ特殊性に胡坐をかくのではなく、新聞の本質を突き詰め把握しておかないと、ある日突然、座る場所が無くなっているという事態になりそうな…、そんな予感がします。
    技術の進化がもたらすものは、『想像力での勝負』の世界のようです。