そもそも・・・街とは賑々しいから、街なのである。
哲学などという高尚な学問とは縁遠いのですが。面白い哲学者のやさしい本があるとの新聞記事を読んでついつい購入・・ページを捲ってしまいました。結論から、先に申しますと、哲学者って本当の面白い発想をするもので、我々凡人とはやっぱり、ちょっと考え方が違うと思いました。
考え方の違いはこうです。まず、著者は「戦う哲学者」と呼ばれ著書の「うるさい日本の私」を読むと、こんな下りが、「この国は音の暴力に溢れている・・・
街を歩けば際限なく・・ああするな、こうするな、これを気をつけろ、あれに手を出すなとスピーカーによる挨拶、注意、提言、懇願の弾丸を浴びねばならない」エスカレーター乗れば「まもなく終点でございます」「足元にお気をつけ下さい」「手すりにおつかまりください」「黄色い線の内側に・・・」とかまびしい・・・
電車に乗れば乗ったで・・「駆け込み乗車は危ないですからおやめください」「走行中急停車することがあります。お立ちの方はつり革や手すりにおつかまり下さい」「当駅では終日禁煙です、おタバコは所定の位置でお吸い下さい」「新幹線を利用いただきありがとうございます」「またのご搭乗を従業員一同心よりお待ち申し上げています」などなど・・・・善行の押し付けはやめろとお怒りになり・・・
ニヒルに社会をみつめ、信念に従って持論を述べ、行動していると。そして、日本社会で最も嫌いなのは、みずからが何が善で何が悪かを見極めもしないで、どんな悪でもいったん良いこととされると、それに対して疑いを持たないことに腹が立つと。善悪を論じるから哲学何でしょうかねぇ?
世の中賑々し過ぎる。余計なお世話が多すぎる。私もその通りだと思います。考え方はちっとも違わないのですが。私がこの哲学者と違うと思うところは、スピーカーなどで善行と称してがなりたてる街の騒音を・・・勿論悪行でも・・・私は認めますが、かの哲学者は認めない。
その違いです。なぜ、私が認めるかと申せば、至って簡単で、街とは賑々しいモノなのだと、私は達観し・・・彼は、街とはこうあるべき(留学先のウィーンの街と比べているようですが)との固定しが観念があるのでしょう。
それに、思いにそぐわなければ「戦う哲学者」としてのプライド(面目を保ちたい)が許さないんでしょうね。騒音、お節介を悪行と決めつけるのも、大人気ない。大人気ないのが哲学なのかも知れませんが。Goto
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