苔のむすまで・・・

我が家の「猫の額」に・・・悠久の時を知りました・・・
我が家の猫の額のような庭。手入れもせずに放置。日陰に植えた梅はこの春も花を付けず。金木犀も大きくはなったが・・・近年は花の咲く数が減った気がする。花水木は伸びすぎたのだろうか、幹の半分が朽ちたので、家人がバッサリ。もちろん、敷き詰めたはずの芝は見る影もない。
そうですよねぇ。南側に車庫。東側が玄関への通路。西側は塀、それも煉瓦の。これでは陽が当たらない。樹木が育つはずもなければ、芝が根付くこともない。なんせ、老母の管理だと、主の私が、全く関心がないのですから、わずか数坪の庭でも、見る影もなくなるのは当然です。
私も歳を重ねたのか。春風に誘われたのか、ふと・・・足を止めて20年以上も無関心だった「猫の額」に目を止めると、ほぉう・・・芝が姿を消し・・・「苔」生しているでないか。「苔」って、陽光に・・なんて綺麗なんだろう。
そんな思いで・・・温暖湿潤な「猫の額」だから苔が生えたのかと思いきや。4/9日経朝刊。私の好きな「NIKKEI ART REVIEW」に日本人は苔が好きだ。しかも文学的に愛している。路傍の石や庭の石畳の隙間であっても、その深淵な緑に悠久の時の流れを見るとのリードで、「春の苔」と題した特集が組まれている。
「苔」って考えてみれば、日本人の心なんですね。君が代が、そうですものねぇ。「千代にい八千代に苔のむうすうまで・…」ですものねぇ。日経によりますと、富士の麓に苔を専門に取り扱う造園会社があるんですって。なんでも商売になるんですねぇ。
その会社曰く「苔には三種類、日向で育つ苔、半日蔭で育つ苔、日陰で生息する苔がある」「技術革新で、通常三四年掛かる苔の生育を半年から一年に短縮できるようになった」「園芸愛好者でマニアックなお客さんがたくさん苔を買って下さる」「不況でも売り上げは落ちません」と静かな苔ブームを。
苔のイメージは我が家の「猫の額」の片隅にひっそり生きている感じですが、日本人の美学に照らし合わせれば、侘び、寂びの佇まいです。「苔の下」は死後の世界を意味する・・・その緑が普遍不朽をも象徴します。人は悠久の時を告げる苔と対峙し、人の己なる小さな存在に痛感する。
苔は日本人の思想や宗教観にかなった存在であるがゆえに、名刹を尋ね、その庭の苔に己を垣間見るのでしょう。・・・・我が家の「猫の額」に生えた苔を見ながら、苔のむすまで、もうひと頑張りかと、苔に手を合わせました。Goto

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